直撃に顔をしかめた若林氏だったが、記者をスクールに招き入れて取材に応じた

 最近は女性にもプロレスが人気になり、“プ女子”という名称が生まれるほど。

「イケメンレスラーが脚光を浴びていますが、プロレス文化が市民権を得た背景にはアナウンサーの力もありました。若林健治さんはジャイアント馬場の熱狂的なファンで、感情を爆発させるアツい実況が名物でしたね。古舘伊知郎さんと並ぶプロレス中継の名物アナです」(格闘技ライター)

 若林アナは、'07年に日本テレビを退社してからは、フリーとして活躍するかたわら後進の指導を行っている。

「専修大学でアナウンス講座の講師を務めるとともに、新宿区に『若林健治アナウンススクール』を開いています。上田まりえアナウンサーも彼の教え子ですね。

 若林さんは先輩の山本勇アナが主宰する山本勉強会の1期生で、師匠から受けた恩を次世代に引き継ぐという志があるのでしょう」(テレビ局関係者)

 彼の教えを受けた生徒の多くが現在、アナウンサーとして活躍している。ただ、園田靖さん(仮名=大学生)にとっては悪夢のような思い出だ。

「若林先生は、大学のアナウンス講座で声をかけた学生を山本勉強会へと誘い、セクハラを繰り返していました。僕もその中のひとりで、自宅に招かれて寝室でいかがわしいことをされたんです……」

 大学の講座で学ぶ学生の中から8名ほどが勉強会に誘われた。参加者は、8割以上の確率で男子だったそう。

「金曜日の夕方に山本先生の自宅に学生が集まり、ご飯を食べてから勉強会をします。若林先生も助っ人でいらっしゃり、勉強会の後は居酒屋に行くのが決まりでした。

 そこでの話題はほとんどが下ネタ。“何でお前は童貞なんだ!”“小さいんだろ?”“男好きなのか?”などとノリノリで話しかけられ、ボディタッチもありました。みんな腿や下腹部、鼠蹊部などを触られるんです。抵抗なんてできません」(園田さん、以下同)

 学生たちの間では、若林氏が男性に興味を持っているというのは暗黙の了解だった。

'03年、ラジオ日本の新ワイド番組記者発表会に登壇した若林氏(右端)。魚住りえらとともに臨んでいた

「ご自身では公言していませんが“アナウンサーはゲイにモテないと意味がない”“芸能界はゲイばっかりだから、モテなきゃやっていけない”と話していました。触られた学生が嫌がっているのを見て山本先生が“やめなさい!”“訴えられたらお前、終わるよ”とハッキリたしなめていらっしゃったんですけどね……」

 場を盛り上げなければならない空気があり、学生たちが拒否することは難しかった。後日、園田さんはひとりで若林氏の自宅に行くことになる。

「毎週のように誘われました。断っていたんですが、周りから“そろそろ行かないとまずいんじゃないの?”と……。お伺いして、しばらくすると寝室に呼ばれました。何種類ものローションを見せられた後、僕を横向きに倒してその後ろに寝転んで僕の後ろにピッタリくっつくんです。その後、服の下に手が入ってきて上半身を触られて……

 普段からセクハラを受けていたこともあり、怖くて身体を動かせなかったという。

マッサージ器を股間に押しつけて“立ってる?”と聞いてきました。“立ってないですよ”と答えると“いやいや、うそうそ”と。最後までしたら自らのアナウンサー生命が断たれますから、それはないと、タカをくくっていたところはありますね。黙っていたら身体中を触られ、気がすんだのか、急に解放されました」

 被害にあったのは園田さんだけではない。過去には先輩も自宅に呼ばれているという。

「先輩は寝室でのセクハラの後、“お風呂に一緒に入ろっか”と浴室へ入ってこられたそうです。僕はお風呂はひとりで入りましたが、その後は心配でなかなか眠れませんでした。

 朝になると若林先生がやってきて、また身体を触り始めたんです。今度は服をずり上げて乳首や腰のあたりを舐めてきました。その日はスクールがあるということで先生の気がすんだところで終わり、一緒に家を出ました」

 その後、勉強会で会っても若林氏は普通に接してきたという。園田さんが自分の経験を告白することを決めたのは、いま話しておかないと後悔することになると考えたからだ。

「師匠として仰いでいた人ですから、当時は拒絶するのが怖かったんです。大学で指導してくださる“元・日テレアナ”ですから恐縮してたんです。自分が我慢すればいいのだと思っていました。

 最近になって、DVやセクハラ、パワハラなどのニュースを見たときに、そのときの記憶がよみがえってしまって。今となっては、立場を利用してエモノを探していたんだと思いました。僕は純粋にアナウンサーになりたくて講座に入ったのであり、先生の接待のためじゃないんです。今はもう夢を諦めました。怒りは感じています」

 事実であれば若林氏には人を教える資格はない。5月17日、スクールの授業終了後に出てきたところを直撃した。

出勤時の若林氏。この日も10時~22時の間、指導に励んだ

─若林先生が大学の学生にセクハラしたと聞きました。

「僕が?」

─下腹部を触った……。

「あー、はいはい。ここで? 専修で?」

─山本勉強会のほうで……。

「えっ? いつの話?」

─2年くらい前のことだと聞いています。

「やってません」

 スクール内に記者を招き入れ、話を続けた。

─山本先生と若林先生が私塾を開いているのでは?

「ここ(アナウンススクール)を始めてから8年ほどは、もうやっていません」

 完全に否定するが、園田さんからは'15年当時に勉強会に通っていた学生と花見をした際の写真を見せられている。

─学生さんが先生のご自宅に招かれて……。

「僕の家ですか?」

─はい。そこで、性的暴行に近いことがあったと。電動マッサージ器をあてがったり、胸を舐めるとか……。

「ほとんど、僕の自宅に(学生は)呼んでいませんね。1人か2人はいますよ。それも、20〜30年前ですかね」

 最近では自宅に学生を招いたことはないと話す。

「ボディタッチはしますよ。“頑張れよ〜(と言いながらお尻を叩く仕草)”とか、“なんだ今日モッコリしてんな〜(と言いながら下から股間を転がすような仕草)とか、そのぐらいはありますよ。男同士ですからね。それをセクハラとは……」

 通常は男同士で股間を触り合う光景を見ることはないが、若林氏にとっては挨拶の範囲なのだ。

 自分がパワハラを行ったとも考えていない。

ケツをひっぱたいたりケリを入れたり、“バカヤロー”っていうのはありますよ。それは指導でもあり、スキンシップでもあり、鉄拳制裁でもありますしね。その人の感じ取り方だと思います。いつも誠心誠意、接してますし(指導した学生の)合格率がすごいんですよ。

 ただ、男ですからね。“お前なんで言うこと聞かないんだよ(と、あごをつかむ仕草)”くらいはありますよ。これはもう、日常茶飯のことです。それをセクハラととらえられたのだとしたら、私も相手を選ばなきゃならなかったんでしょうね、という反省はありますけれどもね。古い人間なもので」

 軽妙な“若林節”は健在だったが、かつてプロレスファンを熱狂させた感動的な言葉は最後まで聞けなかった。