東京電力・福島第一原発の事故によって、福島県から避難した子どもたちへのいじめが注目を集めた。新潟県内に住む中学2年生の鈴木朋美さん(14=以下、名前はすべて仮名)も、いじめを受けたひとりだ。

除染作業が行われる福島県内にある学校(2013年6月)

 文部科学省は’17年3月、原発事故などの影響で避難した児童生徒に対するいじめを調査。翌4月、結果を公表した。それによると、’16年度には129件。このうち、震災や原発事故を理由とする、あるいは関連するいじめは4件。ほかの125件は、直接の関連は確認できていない。

 また、震災から’15年度までには70件、避難者へのいじめがあった。このうち9件が直接、震災や原発事故に関連したものだ。

 原発避難によるいじめというと、「放射能」や「福島」、「賠償金」などの言葉を用いるものもあるが、調査が示すように直接言われることは少ない。朋美さんも関連する言葉を投げつけられていない。

 両親がいじめに気がついたのは’12年10月。朋美さんが小学校3年生の秋だった。下校時に、落としたパーカーを同級生が拾った。朋美さんが「私の」と言うと、その場にいた9人全員が突然走りだした。

 朋美さんから逃げるのは“逃げるごっこ”と呼ばれていた。のちの調査でわかったが、「友達じゃないから」というのが理由だ。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生、福島第一原発事故も起きて多くの人が福島県内外に避難した。朋美さんの一家も1年を過ぎてから、母親の景子さん(45)の出身地である新潟県内に避難した。一家が住んでいた地域は第一原発から60キロ以上離れている内陸部。初めは避難を考えていなかったが、小学校の校庭を除染する様子を目の当たりにして、景子さんが不安に思ったのだ。

 新潟県内に移り住んだのは’12年8月。国が定めた警戒区域や計画的避難区域の外に家があったため、自主避難の扱いだ。賠償金はないが、住宅は無償提供の対象だった。しかし、一家が入居した物件を仲介した業者が暴力団員に物件を提供していたことが発覚。県は当該業者が扱う物件は対象外とした。そのため、家賃は自費になった。

 朋美さんが小3の夏、福島県から転校した。原発事故当初から、避難者は、嫌がらせやいじめ、悪口を言われると伝えられたことがあった。

 先に避難をした人からは「学期の途中で行かないほうがいいよ」とアドバイスを受けた。いじめを受けやすいからだ。そのため、朋美さんは、2学期になって転校した。

 下校時、朋美さんと同じ方向の子どもがいるのに、いつもひとりで帰って来たことに景子さんが気づいた。事情を聞くと、朋美さんは「みんな、足が速くて」。このとき、いじめられている意識はなかったという。

 そんな朋美さんが前出のようないじめを自覚、「もう学校へ行きたくない」と言いだした。学校に相談すると、調査を始めた。9月中旬ごろから「きもい」「けがれる」と言われていたこともわかった。

 学校の対応は早く、逃げるごっこをしていた9人の保護者から謝罪を受けた。学年全体に対しても指導した。結果、朋美さんは登校を再開できた。

 学校は『学年だより』でもいじめを公表。逃げるごっこをして朋美さんを孤立させたこと、「きもい」「けがれる」「こっちに来るな」と悪口を言ったこと、複数の女子から避けるような行動をされたことを認めて、「ケンカ、遊びをこえた、“いじめ”である」と認定した。

 同じ小学校では、数年前にも、福島県からの避難者に対していじめがあった。父親の悟志さん(51)は「前例があったため、初動は早かったのではないでしょうか」と話す。加害児童の保護者からも謝罪があったが、心から反省していたのか疑わしかった。

いじめられた娘を守り、学校との交渉をしている父親の悟志さん

「加害児童の保護者も集団になると“あんなのいじめじゃない”“騒ぎすぎ”と言っていました。こちらが“娘が自傷行為をしていた”と言ったら、“クレーマー”と呼ばれたこともありました」(悟志さん)

 一時、いじめはやんだ。しかし、4年生のときも朋美さんは1年間、学校で孤立した。3学期には下駄箱の靴に雪を入れられたり、悪口を書いた手紙が入っていた。

 4年生の春休み。朋美さんがお風呂で入浴剤を口に入れる事件が起きる。

「学校のことを考えていたら頭が痛くなり、すっきりしたかったからのようでした。その後、クリニックに行ったのですが、医師から“4年生だから死ぬすべを知らないだけ。死にたいという心境には至っていたのでしょう。よく注意して”と言われました」(悟志さん)

 5年生も孤立ぎみだった。朋美さんは身体を噛むという自傷行為をしてしまう。肩口が紫色になっていたのを悟志さんが発見した。

 6年生の1学期には、体育で使う紅白帽が何度もなくなった。

「死にたい」。朋美さんは自殺を考えていたことを初めて景子さんに告げた。同じころ、自宅近くで妹の佳寿美さん(10)がBB弾で撃たれた。自分のせいで妹にも影響があったと思ったのか─。

「菌」「裁判」の隠語を使ったいじめ

 両親は、学校運営協議会にいじめ問題を相談、教育委員会には調査委員会の設置を要望した。いじめ対策推進法では、いじめによって自殺を考えたり、長期の不登校になる場合は「重大事態」として、学校の設置者が調査委員会を作ることになっている。

アンケート結果が記された学年だより。朋美さんへのいじめの事実を学校も認めていた

 しかし「いじめに関する条例がない」との理由で、設置されなかった。また効果的な学校の指導がされないまま、6年生を終えようとしていた。そのころ、主犯格の加害児童2人に対して、弁護士を通じて、警告文を出した。その後、しばらくいじめはおさまった。

 中学に入ってからもいじめは続いた。おかしいと感じた朋美さんが’16年12月ごろ、クラスの友人に聞くと、「俺はしていないけど“朋美さん鬼ごっこ”をしている(人たちがいる)」

 さらに担任の調査によって「菌鬼ごっこ」が判明。名前に「菌」とつけて、「鬼ごっこ」をしていたのだ。隠語や「裁判」という言葉を使い、悪口も言っていた。

 中1の夏休み前、朋美さんは国語の授業での作文で、いじめが現在でも行われていることを書いている。

《中学生になった私は一人になりました。私もがんばって友達をつくりました。ときどき、「朋美はいじめられていた」とうわさがながれています。まだいじめはつづいています》

 その作文を国語の担当教諭が夏休み中に採点、評価は「B」をつけた。4枚目で中学でのいじめが出てくるが、担任や学年主任の誰にも報告していない。

 この教諭は当初、作文を「途中までしか読んでいない」ため小学校時代の話と認識したという。だが、その後、「作文は読まなかった」と言い分が変遷した。「最初だけ読んだと言っていたが、現在の心境を知りたくなるはず。そうしないのは教員としてのセンスがない」(悟志さん)

 一方、学校は、いじめ発覚後、1年生全員の約120人(1クラス30人前後)にアンケートを実施した。

(1)菌鬼ごっこをしたり、いじめをした心当たりはあるか。
(2)いじめを見たり聞いたりしたことはあるか。
(3)今回のことをどう思うか。

 結果、(1)は11人、(2)は26人。その後、校長と担任が自宅を訪れ、朋美さんに謝罪したが、朋美さんは校長に対し「本当に(いじめ対策を)やってくれるまでは信用できません」とキッパリ。担任に対しても「何度相談しても“気のせいじゃない? 勘違いじゃないの?”と信じてもらえず、ショックでした」と言い、募る不信感を隠さなかった。

 不登校の日々が続いたために、両親は、朋美さんに対する学力保障を学校側に求めた。自宅に教諭が教えに来た。その際、国語の担当教諭も家を訪れた。震えながら謝罪する姿を見た朋美さんは、作文の件で理由が変遷したことに「学校に言わされている」と感じ取り、担当教諭と和解した。

 4月、調査委が設置され、ようやく調査がスタート。5月12日、朋美さんと両親は聞き取りを受けている。

 朋美さんは調査委設置が決まったあと、筆者の取材にこう話してくれた。

「(加害生徒には)なんで“菌”とつけたのか、ひとりひとりに聞きたい。いじめられたことで人とのコミュニケーションをしなくなった。授業には行きにくいけれど、LINEをくれる友達がいるので、部活には行きたい」

 朋美さんへのいじめで、「菌」の理由ははっきりとしない。しかし「原発事故由来ではないか」と両親は疑っている。原発避難者への無理解や偏見、冷淡さが背景にあり、それが朋美さんを傷つけた原因ではないか。私たちの社会についても疑ってみる必要がある。

<取材・文/渋井哲也>
ジャーナリスト。自殺、いじめなど若者の生きづらさを中心に取材。近著に『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(三一書房)がある