「日本では祖父母に面会交流権がなく相手の心ひとつなんです。裁判をしても認められる可能性は低いと弁護士さんに言われました。元気に生活しているのか、可愛がってもらっているのか。実の孫なのにそれすらもわからない。この現状を少しでも多くの人に知ってもらいたいんです」
夫側には拒否され、孫が成長した今は顔もわからないと寂しそうに語るのは、松村恵子さん(仮名・65)だ。
娘であり孫の母である道子さん(仮名)は、マンションのベランダから飛び降り、自らの命を絶った。
「出産後、不安定になったので、当初は産後うつかと思っていたのですが、のちに夫のDVによる影響だとわかりました」と恵子さんは証言する。
長い交際期間を経て結婚し、気心の知れたはずの夫が、妻を壊す。それも醜い言葉で壊す。
産後の病室、夫から「寝てんじゃねぇ」
深層心理学を専門とし、カウンセリングも行う大正大学心理社会学部の青木聡教授は、
「身体的な暴力は危険を察知し、すぐに逃げることができますが、言葉の場合、徐々に積み重なり支配されていきます。そして自分が悪いと思うようになり深刻化する。そしてストレスがたまり、さまざまな精神症状が出てきます」
出産後に病院に見舞いに訪れた夫は、「俺は仕事で忙しくて眠れないのに、寝てんじゃねぇ」と道子さんに心ない言葉を投げかけたという。
退院後も、夫は道子さんを言葉で支配しようとした。
“社宅の人間やお前の友人とは付き合うな”と行動を制限。妊娠前に勤めていた仕事に復職を望む道子さんに“たいした稼ぎにならない”と否定する。夫が職場に出向き、復職させるなとねじ込んでいた。
「徐々に娘の様子がおかしくなっていきました。子どもが泣いていると“寝かしつけられないのか”“何もできないやつ”となじられ、しまいには“泣きやまないでうるさいから、実家に帰れ”とまで言われたと泣いていました」
と恵子さん。実家のドアを開けると、夫に連れてこられた道子さんと孫がいた。
それから約1年間、道子さんは、実家で過ごした。精神状態も落ち着きを取り戻したが、夫が訪ねてくると、また不安定になったという。
だが、いずれ夫との生活に戻るため、道子さんは心療内科へ通い、治療を始めた。
そのさなか、あるトラブルが発覚する。
「娘が100万円近くも買い物をしたようなんです。明細を見て驚いた夫が、怒鳴り込んできました。娘を罵倒し、さらには“こんなバカ娘に育てたバカ親!”と私にも暴言を吐きました」(恵子さん)
道子さんの購買行動を、前出の青木教授はこう見る。
「買い物をすることで、旦那さんの支配によるストレスを発散していたのでは。DVの被害により、アルコールやギャンブルに依存する人は多い」
「子どもを置いて出てけ」
恵子さんが弁済することで、なんとかおさめたという。
その後、道子さんは社宅に戻り、恵子さんも娘夫婦と同居することに。だが、そこで目の当たりにしたのは、夫の容赦ない言葉の暴力だった。
「病気になったのは俺のせいだと会社のやつに悪口を言われた」、夫婦ゲンカを恵子さんが仲裁しようとすると「お前に言われる筋合いはない」と、義母をお前呼ばわり。恵子さんが用事で実家に帰ると、「病人と赤ん坊を俺に押しつけるな」と言われたことも。
病気でもキチンと家事育児をする道子さんに「お前はバカだ」「お前は何もしない」と夫の罵倒は加速していった。
症状が好転しない道子さんが、再び100万円近いショッピングをしたのは、大手企業に勤める夫が、社内で選抜された海外研修が決まった直後だった。恵子さんが明かす。
「彼が海外から帰ってきたときに、病気を治して迎え入れたい。そのためにはちゃんと話さないと病気と向き合えない気がすると語っていました」
少しでもいい方向に進むため、道子さんは自ら買い物のことを告白したが、夫は「子どもを置いて出ていけ」と追い出した。
'08年11月23日。その日から、道子さんは愛娘と引き離されてしまった。実家へと帰る道すがら、「お母さんやっぱり戻ろうよ」「○○ちゃん(娘)を連れてこようよ」と何度も何度も訴えたという。
わが子に会えず、ふさぐ娘のために恵子さんは弁護士を立てた。交渉の末、月1回、夫の実家で子どもに会えることに。
「“初めてママってしゃべった”“プレゼントしたアンパンマンのトレーナーを着てくれて、『ママ、また来てくれる?』ってチューしてくれた”と会うたびに孫の様子をうれしそうに話していました」
だが'09年9月、転院した医師のすすめから断薬したことで翌月には症状が悪化した。
「ときおり、二重人格のような症状が出るようになりました。あるときは、罵倒する夫の人格。あるときは、謝り続ける自分の人格。誰に言うわけでもなく“このバカが”“ごめんなさい”を繰り返すんです」(恵子さん)
同年12月、病状がさらに悪化した道子さんが面会に行ったところ、その様子に驚いた夫側から、弁護士を通し連絡があった。恵子さんが語る。
「孫が驚くので、会わせられないと連絡があったんです。こちらから何度も弁護士を通し連絡をしても返答がなくて」
前出の青木教授によれば、
「精神疾患であろうと子どもの安心安全が脅かされなければ、会わせることに問題はありません。子どもに説明をして納得すれば、受け入れ、心の優しい子に育つことも。一番悪影響なのは、子どもを夫婦間の衝突に晒すことです」
葬儀に夫の姿はなかった
道子さんはその後一切、娘と会うことは許されなかった。
再び薬を服用し、回復に向かった道子さんは、“自立して子どもを引き取りたい”その思いから、仕事を始めた。
精神状態も安定し、12月からはかけ持ちをして働き始めた矢先のことだった。道子さんの病状が再び悪化する。
「無理をして働いたため、買い物をした自分を責める言葉を口にするようになりました」
道子さんは自分の服を持ってきて、“これを売って、お金を返さなきゃ”と話すこともあったという。
そして、'10年12月18日。
「昼食を作り、私は自室にいたのですが、廊下をパタパタと何度も往復する音が聞こえました。それがパタリとやんで……。胸騒ぎがしてリビングに行ったら、ベランダの窓が開いていて、そこから覗くと下に娘が倒れていたんです」
病院に救急搬送されたが、手の施しようがなく、息を引き取った。29歳だった。
葬儀には夫の姿はなかった。
あれから今年で7年。孫とは8年以上、会えていない。
「クリスマスも会えないだろうから、自立するため、今は働いてお金を貯めて、資格を取るために学校へ通うんだと張り切っていました。クリスマスに会えていればこんなことにならなかったのかな……」
遺骨はいまだ自宅に置かれている。そしてその隣には、道子さんが自殺直前、わが子のために買っていたクリスマスプレゼントの包みが……。
「いつか孫が会いに来てくれる。そう思って、まだお墓には入れていません。そのとき娘が渡せなかったクリスマスプレゼントを渡してあげたい。そして娘がどれだけわが子を愛していたか。それを孫にちゃんと伝えてあげたいんです。娘が残した宿題をちゃんとやってあげなくっちゃ」
恵子さんの表情には深い悲しみが漂っていた。