「浦和レッズで新人だったころの長谷部選手は、今よりも髪が長くて、少しチャラいイメージもありましたね」
そう話すのは、長年ワールドカップを現地取材するサッカーライターの元川悦子さん。不動のキャプテンとして活躍する長谷部誠だが、そのころの印象は今とは違っていた。
「ユース代表候補に選ばれたときに話しかけても、少しツンケンしていたような記憶があります。決して悪い印象ではないけど、今のようなハキハキ大きな声でしゃべるような感じではなかった」(元川さん)
彼が変わるきっかけだったのが、'10年のワールドカップ。岡田武史監督にキャプテンを任されたときだ。
「長谷部選手はそのとき26歳。上の世代にはうるさ型もいて“ハセはおもしろいことを言わない”“まじめすぎるやつだ”みたいなことも言っていましたし。そんな中でキャプテンをやらなくてはいけなかった」(元川さん)
だが、彼は完璧に対応してこの逆境を乗り切った。
「“僕はただキャプテンマークを巻いているだけで、本当のキャプテンは……、チームを統括しているのは……”とメディアで話したりして、上の世代を立てたんです。
“僕はマークを巻いているだけでキャプテンでも何でもない”と言い続けて配慮をしたんでしょうね。下の世代には、意見が言いやすいように声をかけていました」(元川さん)
学生時代もリーダー
長谷部の母校である藤枝市立青島中学校の当時のサッカー部監督・滝本義三郎さんもこう話す。
「入部して早々、学年のリーダーとなって35人くらいいた同学年の部員の面倒を見ていた。同学年からの信頼は厚く、上級生にも可愛がられる。2年生の後半からは上級生が抜けてキャプテンになって、部員全員に声かけなどをして気配りをしていましたよ」
彼が入部してからの3年間、サッカー部からは1人も退部者が出なかったという。
「ひとりよがりなところがなく、自己中心的なプレーもしない。私は監督でしたが、1年生のころから彼を頼りにしていた」(滝本さん)
リーダーを任されることで力を存分に発揮する生まれながらのキャプテンシー。日本代表でもチームメートたちの心を整えていたに違いない。