親子の理想にはズレがある
木村さんがひきこもりから脱出したことで、自宅には母親が戻ってきて生活をともにしているが、父とは今も別居状態。母はすでに息子といえども人を支配することはできないと気づいたようだ。だが父はいまだに「今だったら日本郵便に就職できるんじゃないか」と言ったりするという。
「世間体を考えて、大きなところに就職してほしいんでしょう。父も僕も先祖から引き継いだ土地を所有していて、経済的な不安はないんですが、父は僕が“普通の人”と違う生き方をしているのが恥ずかしいと思っているようです」
父は自身の価値観から脱却できずにいるのだろうが、子どもに押しつけるものではないはず。親子の価値観は違って当然なのだから、それを認め合うしかないのだが。
前出の斎藤さんが興味深い事例を教えてくれた。
「家族関係がいい家庭の30代の息子が5年以上ひきこもっていたんです。家では彼が毎日、夕飯を作っていた。仕事をしない以外は問題なかった。そんな彼がある日、母親の紹介で急に働き始めたんです。私も驚きました。家族関係が良好なら、お膳立てさえすれば働き始める人はいる。彼はずっと仕事を続けています」
一方で長く引きこもる娘の面倒を見切れず、娘を捨てる覚悟をした親もいる。世帯分離して娘はひとり生活保護を受けて暮らしているという。
「ずっと一緒に生活し続けることには限界があります。子どもが中高年にさしかかったら、あと何年と線引きしてもいいと思います。日本人は“家族幻想”が強いし、国が弱者へのコスト配分を進めないから、家族が面倒をみなければいけない状態にありますが、限界を感じたら別の方法を探してもいいと思いますね」(斎藤さん)
ひきこもった子を親が殺害する事件も起こっている。そんな悲惨なことになるよりは世帯分離したほうがずっとましではないだろうか。
彼はもう1度、司法試験の勉強を再開するつもりだ。
「自宅に籠(こ)もって勉強すると病んでしまうので、仕事をしながら勉強するか、法科大学院に進学するか迷っています。母も法科大学院への進学を応援してくれています。どんな結末になっても、夢を諦(あきら)めて父親の言うとおりの生き方をするつもりはありません」
カメラマンとして、新聞発行人として写真を撮ったり記事を書いたりする仕事もある。
「自分を殺して社会にはまっていくことができない人間がいるんです。そういう人がひきこもってしまう。ただ、大多数は普通に生きたいと思っているし、誰かの役に立ちたいとも思っている。僕も含めてそういう人間が能動的に行動できるような社会になっていけばいいと思っています」
親との壮絶な闘いを経て、少し落ち着いた生活ができるようになった木村さん。まだ父との関係はむずかしい状態だが、少なくとも母には自身の生き方をわかってもらえるようになっている。
「僕もまだ道半ばではありますが、ひきこもりを脱した先には、家族の再生があるような気がします」
【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】
※第1シリーズは今回で最終回になります。続きは来年お届け予定です。
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆