生活は一層苦しくなった。
夫はバイト先から数千円をくすねるようになり、それが見つかってまた解雇された。友加被告は夫の行動に目を光らせるようになった。
「夫は駅で無人改札を突っ切ったり、前を歩く人のうしろにピタッとついてくぐり抜けるなど無賃乗車をするようになりました。コンビニの万引きも日常茶飯事になり、私は何度も警察署や駅に呼ばれました」
悪事に手を染めるようになっても、Aさんは働き続けた。削れるのは交通費ぐらい。板橋区の自宅からレインボーブリッジを歩いて渡り、江東区の職場に通ったこともあったという。
'17年夏ごろ、帰宅するのがめんどくさくなったのか、睡眠時間を確保するためか、ほとんど自宅に帰らなくなった。日中は区立図書館などで仮眠をとるようになった。
「留守中や就寝中に夫が帰宅してもいいようにお弁当を作っておき、着替えを準備し、置き手紙を添えて門扉にかけておくようになりました。異様な夫婦関係に見えるかもしれませんが、私としては必死だったんです」
子どもの学費や住民税、健康保険料も払えず、病院にも行けない状態に。こうして、一家は事件当日を迎えた。
大生受刑者は裁判で、
《母から父が持っていたお金を取り上げてくれと頼まれて、何でこんなことを僕がやらなきゃいけないんだとは思っていたんですけど、やっぱり母のためというか、最終的には家のため、弟たちのためにつながると思い、仕方なく父に手を上げました》
と述べている。
Aさんが渡そうとしなかった封筒には9万円が入っていた。年末年始に長野県上伊那郡の実家に帰省し、母親からもらった11万円の残額だった。電車賃が足りず、厳冬の山梨県境を歩いて越えた。