近年はSNSの充実で、地方からも全国的な人気を獲得するコンテンツが誕生している。これからも確実に地方からスターは生まれ、それらの命は、東京のエンタメ観では見つけられない場所で産声をあげています。そんな輝きや面白さを、いち早く北海道からお届けします。(北海道在住フリーライター/乗田綾子)

 ここ最近、とても気になっているニュースがあります。それは“SMAPとTOKIO”の久々の共演。

 始まりは1月20日の『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)。TOKIOの冠番組に木村拓哉さんが初めて登場したことは各メディアで大きく取り上げられ、平均視聴率も18.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、いかに注目の共演であったかを明確に示す結果となりました。

 また「DASHが一度きりの共演か」と誰もが思っていたところ、2月の木村さんのレギュラーラジオ『木村拓哉のFlow』(TOKYO FM)に、今度は後輩のTOKIO・長瀬智也さんがゲスト出演。

 4週にわたって繰り広げられているトークは、昔話も含め、まさにファン垂涎の興味深いものばかりになっています。

 ただ、こうして“異例”の共演が続く中、同時にふと引っかかったのは、「もうテレビメディアでは、なかなか両者の詳しい関係性に触れる機会がなくなってきているのではないか?」ということ。

 そもそもSMAPとTOKIOは長年、共演機会がなかった上、2016年にはSMAPが解散、そして2018年にはTOKIOから脱退者が出たという事情がありました。

 そのため、テレビ番組で両者の過去があまり触れられなくなってしまった現在、今回のように貴重な共演があっても、視聴者サイドの記憶がきちんとアップデートされないまま、あいまいな形で後世へと語り継がれている節があります。

 そこで今回はSMAPとTOKIOについて改めて過去の資料を洗い直し、世間的によく出てくる“疑問”について、3回に分け徹底検証してみたいと思います。

「国分太一がSMAPだった」は本当?

 SMAPとTOKIOの歴史が振り返られるとき、真っ先に出てくるのは「TOKIOの国分太一って昔SMAPだったことがあるらしいよ」というエピソード。

 これはファンじゃない方も気になるのか、インターネットで「国分太一 SMAP」で検索すると真っ先に「国分太一が実は元SMAPだった」という内容のまとめページが出てきます。

 そこで実際にSMAPの結成年である1988年当時のアイドル誌をいくつか探してみると、“SMAP”の言葉とともに国分さんが最初に紹介されていたのは、『Duet』の1988年7月号でした(記事タイトルは「SMAP 爆発まぢか フレッシュ!なんでも大行進」)。

 もっとも、この時期のSMAPはグループ名というよりも、どちらかというとまだ“12名のスケートボーイズ”の総称扱い。SMAPが登場というのは単に一部のジャニーズJr.がふわっと雑誌に登場している、という程度の意味合いしか持っていませんでした。