現在の“AKBバブル”もまた然りで、まだはじけてはいないものの、アイドルのありがたみをすでに低下させていることは間違いありません。供給過多はどうしてもデフレにつながるのです。
成功のカギとなった“会いに行けるアイドル”というコンセプトも、実は両刃の剣でした。身近になればなるほど、その貴重性が薄れるからです。昭和のアイドルが高級なブランド感をウリにしていたとすれば、平成のそれはユニクロ、あるいはダイソーでも買えるような手軽さが魅力です。
虚像の世界が崩れ……
これについては最近、昭和の男性アイドルの代表である田原俊彦がこんなことを言っていました。『あさイチ』(NHK)で、今のアイドルとの違いを聞かれたときのことです。
「やっぱり、距離感というか。トイレも行かない、みたいなね、虚像の世界だったと思うんですけど」
たしかに今は、現役トップアイドルの指原莉乃がインターネットTVでトイレ事情を語る時代です。昔なら考えられないことでした。また、指原といえば、男性スキャンダルを逆手にとってブレイクした人。これも、昭和ならありえないことです。
トイレにせよ(セックスを想像させる)恋愛にせよ、アイドルにはご法度だったのですから。万が一、妊娠でもしようものなら、盲腸などと偽って中絶したりしたものです。
とはいえ、アイドルが身近になっていったのは世の必然でもありました。昭和の終わりから世間的にも“自分らしさ”や“本当の自分”といったものがもて囃されるようになり、私生活からインタビューでの発言まで、徹底管理されたなかで虚像を演じるという手法は時代遅れと化したからです。
しかし、虚像を守り、楽しむという意識が薄れ、距離感まで縮まると、アイドルもファンもゆるみがちになります。
NGT48のトラブルは、そんなアイドルが身近になりすぎた時代を象徴するものでした。
なお、平成で最もアイドルらしいアイドルをつくったのはビーイング系だったと考えています。メディア露出を極力おさえ“見えないアイドル”とでもいう戦略をとることで、坂井泉水は伝説となり、倉木麻衣は長持ちしています。
こういうやり方で、例えば橋本環奈のような素材をプロデュースするとか、それくらいしないと、今のアイドルはほかのものにとって代わられてしまう心配があります。
ほかのものとは『ラブライブ!』のようなアニメだったり、AIロボットです。彼女たちはそれこそ、トイレにも行かないわけですから。もっとも、指原のトイレ発言がニュースになること自体、アイドルが特別視されている証です。
アイドルがトイレの話をしても誰も驚かなくなったとき、人間のアイドルは終わるのかもしれません。
《著者PROFILE》
宝泉 薫さん ◎ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て、『週刊明星』などで執筆。アイドル、二次元、流行歌など、さまざまなジャンルをテーマに取材。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)