母に見せた初めての反抗

 プロ入りを後押しした母・芙沙子さんが、愛の可能性を確信した、あるエピソードを明かしてくれた。

「プロ転向後も通信制高校で勉強を続けていましたが、提出したレポートが戻ってきたとき、講師のコメント欄に“このレポートはお前が書いたものじゃないだろう”という趣旨のことが書かれていました。本人に見せるかどうか悩みました。

 ところがこれを見た愛は、“ママ、この先生、かわいそうだね。きっと何人もの人に裏切られてきたんだよね。まあいいじゃん”と。驚きました。これだけキチッと相手の立場に立ってコメントできること。大局的に問題ないことを無視できる判断力。このコメントを聞いて、この子はきっとプロでやっていける、魅力的な選手になれると感じました」

 その言葉を裏づけるように、ATPランキング180位だった愛は、翌'93年には142位、'94年72位、'95年46位、'96年32位と着実にランクアップ。

 '97年には20位に躍進。'98年18位、'99年15位とついに念願のトップ10入りまであとわずかに迫る。しかし、この年最後のグランドスラム全米オープンで足首を捻挫、あと一歩のところで24位まで後退してしまう。

 迎えた2000年8月。全米オープン女子ダブルスで初めてメジャー大会を制覇したものの、ダブルスよりも重きを置いていたシングルスで結果が残せず、愛は少しずつ自分を追い詰めていった。

元プロテニスプレーヤー杉山愛さん。現役時代も引退後も、『5つの力』を大切にして夢や目標を叶えるためにできることをやり尽くしてきた 撮影/渡邉智裕
元プロテニスプレーヤー杉山愛さん。現役時代も引退後も、『5つの力』を大切にして夢や目標を叶えるためにできることをやり尽くしてきた 撮影/渡邉智裕
【写真】美しいウエディング姿、自分の顔にすり替えた妊婦の写真ほか、笑顔の杉山愛さん

「ここからさらに上にいくためには、何か自分にも必要だと考え、2000年から新しいコーチをお願いしました。

 これまで母がプロデューサー役として“チーム愛”のコーチやトレーナーを選んできましたが、私の心のどこかに“敷かれたレールの上を走っているみたい”という思いが芽生えていました」

 新しいコーチは、人柄はよかったものの言葉数がとても多く、愛が彼の求めるテニスをしっかり理解できないうちに、言葉が洪水のように降ってくる。それに戸惑っていると、今度は母が自分の意見を突きつける。混乱した愛は、母にこんな言葉をぶつけてしまう。

「私にコーチは2人いらない。ママ、試合にはいつでも好きなときに来てくれていいけれど、母親の役割だけをしてね」

 愛が母・芙沙子さんに見せた初めての反抗。母が愛のもとを去ると、その数か月後に「引退」の2文字が脳裏をかすめる人生最大のスランプに、直面する。