今井「地方の自然が豊かなところや海外では、美智子さまもリラックスされていました。
私は両陛下のマレーシア、シンガポール訪問(写真⑧)とヨルダン、ユーゴスラビア(当時)、イギリス訪問(昭和51年6月)にも同行しましたが、外国のほうがより近い距離からいい写真を撮れたと思います。
当時、サングラスをかけたり、サファリルックをされる美智子さまは珍しかったので、いい取材だったと思います。
フィルムを大量に持っていくのは大変でしたが」
山下「時代は変わりますが、皇太子さまと雅子さまの婚約が決まってから(平成5年1月19日)、ご実家の小和田邸(東京・目黒区)前の取材は大変でしたね。
雅子さまが家を出入りする姿の撮影で、カメラマン何人かでローテーションを組んで回していましたが、ハードな日々でした」
小島「結婚前ということもあり、宮内庁の取材規制がなく、各社による取材なので、大勢の報道陣が毎日詰めかけていました。
週刊女性は女性誌ということもあり、雅子さまのファッションにも注目して撮り続けました。
昭和天皇が入院されたとき(昭和63年9月〜)は寒い中、皇居の半蔵門に8時間交代で張り込みを続けたのも大変でしたね」