課題曲のほかに自由曲の枠があったため、雅子さまのために『TO FLY』というオリジナル曲をクラスメートで作詞作曲したのです。
語学堪能で、とても優秀だったことから“世界に飛び立って活躍してほしい”という思いを込めた曲でしたが、みんなから慕われていたのも曲を作った理由だったと思いますね」(Aさん)
両陛下がご結婚した後にも、雅子さまとの忘れられない思い出があるというAさん。
「中学3年生のときにソフトボール部が世田谷区大会で優勝したのですが、優勝カップにオレンジジュースを入れてチームメートで回し飲みをしたことが強く記憶に残っています。
その後、雅子さまが大会に参加していらっしゃったことを知った世田谷区が、そのときの優勝カップを学校に寄贈してくださったのです。
そして、愛子さまがお生まれになる少し前、ソフト部のOG会を学校で開いて雅子さまも参加されたのですが、当時の優勝カップと一緒に校庭で記念写真を撮影したことはいい思い出です」
陛下は予定の動線を外れ、お心遣いの一言を
前出の同級生・立花さんはホテルの従業員時代、仕事柄、陛下にお会いする機会が何度かあったそうだが、あるときには“予想外の出来事”が起こったという。
「私は以前に『ホテルオークラ東京』に勤めていて、'95年のこと、ある国の国賓がいらっしゃって答礼の晩餐会が開かれました。その折、当時の両陛下や皇太子さまなど、皇室の方々も出席されました。
お帰りの際、私たちホテルの従業員もお見送りしたのですが、現在の陛下が私と目が合うと予定されていた動線からはずれて、私のほうに近づいてこられたのです。警備の方々も状況が把握できずに少し動揺されたご様子でした。
私の前まで来られた陛下は“お母さまが他界されたことをお聞きしました。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りいたします”と、おっしゃったのです。その年の春、私の母親が他界していたことを、どこかで耳にされたのだと思います。
数分単位でスケジュールが組まれているお方なのに、貴重な時間を割いておことばをかけてくださいました。一瞬の出来事ではありましたが、私の人生において、絶対に忘れることはないと思います」
一方、同学年だけで集う同窓会では、いつも朗らかなご様子だという雅子さま。
「昔の友人と再会することで、リラックスされるような場を作りたいという気持ちで2年に1回ほど開いています。
そういったプライベートの場では、自分のお話をするというよりも、ほかの方のお話を聞かれています。いつも朗らかな雰囲気で、笑顔でいらっしゃることが多いです。
両陛下はインターナショナルな方なので、今後はぜひ、世界に日本の素晴らしさをアピールしていただければと思います」(Aさん)