こうした雇い方・働かせ方は外国人労働者だけ、と神部さんは言い切る。
「相談に訪れる外国人労働者のほとんどが派遣です。工場の稼働状況でシフトが増減するので働いていても貧困だったり、生活は不安定。仕事の選択の余地がないうえ就業規則は日本語で書かれているので、不利益をこうむりやすいんです」
シャープは「誠に遺憾。できる限りの対応に努める」としながらも『ユニオンみえ』の求める面談には応じていない。
「月70万円」求人の不都合な現実
派遣会社を通じて、シャープ亀山工場に外国人が大量に送り込まれたのは'17年秋のことだ。近隣の日系人コミュニティーから約3000人がかき集められた。当時は「夫婦共働きで月給70万円、家具や家電つきのアパートあり」などと宣伝されていたという。
日系ペルー人のロサレス・ソニアさん(49)も、
「仕事はいっぱいある。人手が足りない」と請われて、同年9月から亀山工場で働き始めた。仕事はiPhoneの部品製造。1200円だった時給は11月には1300円に上がった。
しかし、間もなくシフトが減らされるように。2勤3休になると月給12万~13万円ほどにまで落ち込んだ。当時、ひとり娘が高校進学を控えていた。これでは生活が立ち行かない。
生産量が減ったことから、ロサレスさんは工場内の別の仕事へ異動になった。そんなとき、金属の網状になった床に足をとられて転倒してしまう。
「医者からは2か月安静と言われて労災も申請しました。生活があるので、早く復帰できるよう診断書を書いてもらったのですが、'18年9月にクビになりました。派遣会社に抗議したけれど、みんなクビになるからしかたないと。いまも歩くのに支障があり、力を入れると転倒してしまうので、座ってできる仕事を探しています。でも、なかなか見つかりません」(ロサレスさん)
同じくペルー出身の日系3世、スズキ・ファビオラさん(38)も職探しが難航している。高校1年の息子がいるシングルマザー。'00年に20歳で来日。亀山工場では'15年から働いてきた。
「ペルーは治安が悪いんです。靴が欲しかったとか些細なことで人が殺されています。日本で暮らすようになってから1度、ペルーに息子を連れて戻りましたが“怖い、2度と帰りたくない”と言っていました。日本で生活していくと決心したようです。家族もみんな日本にいますし、がんを患っている父のそばにいて手の届くところで支えたい」
そんな思いとは裏腹に、スズキさんは困り果てていた。職がなく、いつアパートを追い出されるかもしれず、車検の費用もない。友人の紹介で滋賀県に仕事があると聞いたが、通勤に1時間半以上はかかる。
「滋賀でワンルームのアパートを借りて、なんとか稼いで息子を支えられるようになりたいといまは考えています。本当は三重県で仕事を見つけたいのだけど……」(スズキさん)