根深く残る「憧れと偏見」のイメージ
日本には現在、どれぐらい「ハーフ」の人々がいるのだろうか。
「“ハーフ”の正確な人口統計はありません。唯一、出生時における親の国籍数の統計をもとに、日本国籍と外国籍の組み合わせで生まれた子どもの年間数がわかっています。それによると、新生児の50人に1人で、年間約2万人ずつ増えていることになります」
そう語るのは、「ハーフ」や「混血」の研究を続けている社会学者の下地ローレンス吉孝さん(32)。
「ハーフ」の歴史は戦後すぐにまで遡る。下地さんが続ける。
「そのころ、“混血児”と呼ばれた子どもたちは、ほとんどすべてが米兵と日本女性との間に生まれた子どもを指し、差別と偏見の対象になりました。私の母は、朝鮮戦争で沖縄にやってきた米兵の祖父と沖縄の祖母のもとに生まれました。だから私は“クオーター”になるわけですね」
しかし、当時の文部省は“混血児は日本人だから無差別平等に対処する”との方針で、“問題ない”とする姿勢を崩さなかった。そのため具体的な支援策もなく、差別やいじめは温存され、「混血児」の存在自体も見えにくくなったのだ。
こうした歴史を踏まえて「混血児」の言葉が使われることはなくなった。では、いつから「ハーフ」という言葉が日常化したのか。
「1970年代にドリフターズの番組に出演して人気を博した『ゴールデン・ハーフ』というアイドルグループの登場が大きい。アメリカの『アイ・ラブ・ルーシー』や『奥さまは魔女』などのドラマが人気となって、アメリカ文化への憧れがあったところに、彼女たちのセクシーさや日本語のたどたどしさが強調され注目を集めました」