そんな名曲の中から7曲を厳選。それぞれの曲にまつわる秘話をドドンと大紹介!
1.『A・RA・SHI』(’99年11月3日リリース)
嵐の原点でもあるこの曲で、いまやメンバーの間で恒例となった“儀式”が生まれた。
「コンサートが始まる前に、メンバー5人とバックで踊るJr.たちが円陣を組むんです。デビューしたばかりのころは、マネージャーやスタッフも加わって30人近くで輪になっていたそうですよ」(レコード会社関係者)
当時、彼らがまだ育ちざかりの10代だったこともあってか、ライブ前にはこんな光景も─。
「よくみんなでバナナを食べていましたよ。櫻井翔さんがライブ前にエネルギーを補給するために提案したそうです。しばらく、バナナを食べるのが恒例になっていたといいます」(同・レコード会社関係者)
2.『a Day in Our Life』(’02年2月6日リリース)
V6の岡田准一が主演を務めたドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)の主題歌にもなったが、当時の嵐はある問題を抱えていた。
「大野智さん以外のメンバーの歌唱力が低かったんです。ただ、このドラマにも出演していた櫻井さんはすごい努力をしていましたよ」(同・レコード会社関係者)
ほかの仕事もあり、音楽スタジオに来るのは午後11時過ぎになることも多かったという。
「彼が担当するラップを録っていたのですが、何度も“もう1度お願いします”と言って、録り直していたそうです。夢中で取り組むうちに朝になることもあったんだとか」(同・レコード会社関係者)
3.『PIKA☆NCHI』(’02年10月17日リリース)
いまでは、NHKの紅白歌合戦でトリを務めることも多い嵐だが、このころのテレビ局の扱いは真逆だった。
「'02年末にテレビ朝日系で放送された『ミュージックステーションスーパーライブ』でこの曲を披露。ただ、彼らの尺は2分前後と短く、出番もオープニングでした。あまりの扱いの悪さに、事務所がテレ朝に抗議をしたといいます」(テレビ朝日関係者)
それでも、彼らに対する扱いは変わらなかった。
「テレビ局は当時、人気絶頂だったモーニング娘。や女性アイドルの尺を優先していました。彼らは自分たちのレベルを思い知らされて、悔しかったと思いますよ」(同・テレビ朝日関係者)
4.『Love so sweet』(’07年2月21日リリース)
厳しい時代を一転させたのがこの曲だ。いまでは嵐の定番曲のひとつだが、実は彼らが歌わない可能性もあった。
「ジャニーズのシングルを制作する際はコンペを行います。複数の作曲家から楽曲を募り、それをABCとランク分けし、力を入れているグループから優先的に選びます。当時のAランクはSMAPかKinKi Kidsに選ばれることが多く、BランクはKAT-TUN、嵐はCランクの曲が多かった。ほかのグループがこの曲を気に入っていたら、嵐は歌っていなかったでしょう。そう考えると、嵐がこの曲に出会えたのは運命でした」(ジャニーズ事務所関係者)