たくさんのダイヤの原石を発掘してきたジャニーさん。その磨き方も独特だった。
「所属のタレントと家族のように接して、絆を深めるんです」(芸能プロ関係者)
彼らの“素”を見て、性格を熟知してから育成法を決めていたという。ジャニーさんが“友達”のような関係で育てたのが、嵐だった。'02年に行われたツアーではこんなエピソードが。
「本番直前のリハーサルをやっていたときに、ジャニーさんが見に来ていたんです。リハが終わったら、二宮和也さんが誰よりも早くジャニーさんのもとへうれしそうに走って行ったそうです。歌についてのアドバイスというより、感想を聞いていましたね」(レコード会社関係者)
今では仲のよい嵐でも、10代のころはコンサートのリハーサルをめぐって、意見がぶつかることもあった。
「そんなときは、誰かが“じゃあ、ジャニーさんに聞いてみようよ”と言い出すんです。それで、誰がジャニーさんに電話をかけるかという話になると、櫻井翔さん、二宮さん、松本潤さんの3人が“俺がかける!”と言い合いになっていました。みんな自分がジャニーさんと話したいという思いが強かったのでしょうね」(同・レコード会社関係者)
中でも、松本の存在は特別だったという。
「普通、ジャニーズのタレントはオーディションを受けて入るのですが、松本さんは書類を送るとジャニーさんから電話がきて“レッスンに来なさい”と言われたそうです」
松本もジャニーさんの期待に応えたいという思いがあったようだ。
「嵐のコンサートや舞台の演出を手がけることが多い彼は、裏方にこだわるジャニーさんの思いをよくわかっているのかもしれません」(前出・芸能プロ関係者)
ジャニーさんはデビューしたグループのコンサートには細かい指示を出さなかったが、“あのグループ”だけは違っていたという。
「SMAPはデビューして数年たっても、ジャニーさんが現場に来て個々のメンバーにアドバイスをしていたそうです。中居正広さんには全体的な指示、木村拓哉さんには要所に関する指示など、アドバイスの仕方が違っていましたね」(コンサートスタッフ)
特に、中居には厳しく指導していた。
「Jr.時代に、“ユーは歌が下手だね”とカスタネットを持って直々にレッスンをしていたようです」(事務所関係者)
中居は、ジャニーさんから電話の受話器を投げつけられるほど怒られたこともあった。
「彼の前ではジャニーさんは“友達”ではなく、スパルタ教育をする父親でしたね」(同・事務所関係者)
'16年に起きた解散騒動時には、集まった記者にジャニーさんはこう話していた。
《SMAPはわが子と同じ。ぼくは命にかけても守る》
ジャニーさんにとってタレント育成は“子育て”そのものだったのかもしれない。