画の線がきれいで迷いがない
現在もフリーで背景画を描く荒井和浩さん(56)は、専門学校時代からアルバイトであにまる屋に来ていたが、木上さんの姿に驚いたという。
「ある夜、僕は会社のソファで眠ってしまったんですが、起きると木上さんが寝る前の姿のままで机に向かっていたんです。6〜7時間も黙々と同じ姿で作業をしていたようなんですよ」
あにまる屋時代の先輩でいまもフリーで映画監督を続けている福冨博さん(69)も、木上さんのすごみを語る。
「画の線がきれいで、迷いがないのが特徴。『超人ロック』では僕が監督で、彼がレイアウトをやったんですが、画の直しはいっさいなかった。
『怪物くん』では原作にないプロレスのシーンを作って入れたけど、原作の藤子不二雄(A)さんからはまったくクレームもなかったですしね。
彼はもともと『バットマン』や『スパイダーマン』などのアメリカンコミックに憧れてこの世界に入ってきたようです。大人向けのものも描けるし、子ども向けも描ける、数少ない天才ですよ」
非凡さのためか、変わったところもあった。前出の荒井さんが懐かしそうに話す。
「酒も飲むけれど、チョコパフェやクリームパフェも好きでよく食べるが、上にあるチョコやクリームだけ食べて、あとは残す人でした。
洗濯嫌いでね。下着類やセーターも何日か着たら、そのままゴミ箱に捨てるんです。すると、コンビニなどへ行って、新しいものを買う。その繰り返しですよ」
『ハリー・ポッター』の話を先取りした絵本を製作
そんなあにまる屋での生活が続いてた'87年、初代の社長が49歳の若さで肝硬変のため亡くなった。
会社が生命保険に入っていたため、600万円を遺族に渡したが「会社でお使いください」と受け取らなかったので、それを元手に絵本を製作したという。
『小さなジャムとゴブリンのオップ』というタイトルで、木上さんが絵、物語などを担当。関係者だけに配布する1000部限定の出版だった──。
「実はこれ以外にも台本は7本あって、子どもの魔法使いが、おじいさんの魔法使いから魔法を教わるような話です。あの『ハリー・ポッター』の話を、先取りしていた内容だったんです」(前出・本多さん)
ただし、そこには木上さんの名前は出ていない。
「彼はペンネームをたくさん持っています。ゲームの『ドラゴンクエスト』のネタ本となった『ドラゴンギア』(エニックス出版・当時)という書籍のさし絵を描いているんですが、名前は“さとうとしお”。砂糖と塩をもじったものです。
おちゃめなところもあるんですが、とにかく実名を出したがらない、珍しいタイプなんですよ」(同)