ふたり足して100歳なんですよ。ゆり子・雅治で1世紀」(福山雅治)

やめてください。やめて!(笑)」(石田ゆり子

 10月18日放送の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)のスペシャルで、福山雅治と石田ゆり子がこんなやりとりをしていた。これがセクハラにならず、笑いとして成立するのは、福山のキャラもさることながら、石田が50歳には見えない「奇跡のアラフィフ」だからだろう。

 しかし、奇跡は容易には達成されない。ここにいたるまでには紆余(うよ)曲折の歴史があった。

「奇跡のアラフィフ」になるまでの道のり

 彼女は23歳だった'93年に『彼女の嫌いな彼女』(日本テレビ)でドラマ初主演。ただ、大きなヒットにはならなかった。ちょうどその時期、テレビ誌の仕事でインタビューをしたことがあるが「まじめだけど地味」という印象くらいしかない。アイドル時代に何度も取材した3歳下の妹・石田ひかりとは対照的だった。こちらもまじめなところは似ていたが、どこかおきゃんで、前に出る圧を持ち合わせていたからだ。

 実際、ひかりは'92年に朝ドラ『ひらり』(NHK)に主演し、翌年にかけて2年連続で『紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。'93年には月9の『あすなろ白書』(フジテレビ系)に主演し、ブレイク期の木村拓哉とも恋仲を演じている。一方、ゆり子も'95年にキムタクドラマの『人生は上々だ』(TBS系)のヒロインに起用されたが、こちらは木村と浜田雅功の友情ドラマだった。本筋を邪魔しないような奥ゆかしさが、彼女の持ち味でもあったわけだ。

 そんななか、彼女が珍しく「攻め」に出たのが'97年の『不機嫌な果実』(TBS系)である。主婦の不倫を描いた林真理子のベストセラーが原作で、清純派の彼女が濡れ場を演じることが注目された。ただ、これも大ヒットにはつながらない。ゆり子と同世代の知人女性はこんな感想を漏らしたものだ。

「脱げばいい、ってもんじゃないんだね」

 実は彼女、9歳から16歳まで水泳のトップ選手だったというのもあって、意外とアスリート体形だったりする。それゆえ、期待していた世の男性には少しモノ足りなさがあったようだ。'90年代は多くの女優が脱ぐことでステップアップを図った時代だが、彼女はうまくいかなかったケースといえるだろう。

 とはいえ、本人的にはむしろよかったのではないか。これを機に、俗っぽい色気で勝負するような、あるいは、話題作の主演を狙いにいくようなスタンスではなくなるからだ。控えめにコツコツと努力することで、彼女はその後、女優としての居場所を確実に得ていく。