妻と娘への複雑な思い
経済的には厳しいものの、順調にプロのシンガー・ソングライターとして歩んできたように見えるべんさんだが、家族に対する申し訳ない気持ちも抱えていた。
「妻はプロになることを反対しなかったけど、旅の間、家を空けて子育ても全部任せきりだった。僕の実家で同居していたから大丈夫だろうと思ってた。妻はずいぶん我慢してたと思う。反省してます」
娘が小学校2年生になると、妻は家を出た。今も籍はそのままだが、以来、30年以上、別居している。
「安定した収入はなくなっちゃってその日暮らし。結婚した当初、妻はフォークソングの集まりにも一緒に来ていたけど、いつからか、“私はいいよ”と来なくなってしまった。どこに行っても“べんさんの奥さん”と言われるようになって、嫌になっちゃったのかもしれないよね」
そう言って空を仰ぐと、「僕が勝手に思っているだけだけどね。もっと声をかければよかったな」と続けた。
娘が小さいころのやりとりは、今でもよく思い出す。
「2階に僕と娘の部屋があって、低学年のころは“お父さん、一緒に寝よう”ってよく僕の部屋に来て手をつないで寝た。僕は本を読んだり怖い話をしたり、なんだかバカなことばっかり言ってね。なんとか喜ばせようとしてたんだな。やっぱりつらい思いをさせちゃったなって」
祖父母にあたるべんさんの両親が親代わりとなり、以降も変わらず音楽活動に専念することができたが、「娘には口もきいてもらえない時期もあったよ」と振り返る。
娘さんに話を聞いてみると、違った一面も見えてきた。
「嫌いだと思ったことはありませんよ。祖父母と一緒に住んでいたし、親戚も近所にいて、父が思うほど寂しかったわけでもないんです」
小さいころに遊んでくれたことをよく覚えているという。
「本や漫画を面白おかしく読んでくれました。バシッとかズドン! とか効果音まですごい抑揚をつけて読むのでお腹を抱えて笑いました。コンサートがないときは家にいる時間が長いので、近所の子と一緒にたくさん遊んでくれたかな。毎年花火をしたのも楽しかったですね。お父さんというより、近所で遊んでくれるいちばん大きなお兄さん」
しかし、いまだに許せないことがひとつだけあると言う。
「学校には絶対に歌いに来ないでって言ったのに小学校に来ちゃったこと。その後、私は男子にからかわれるんです。“べん”とか“便所”ってあだ名になるの。だから嫌だって言ったのに(苦笑)」
父が40年貫いた音楽活動について、自分が社会人になり改めて思ったこともある。
「好きなことをやって食べてこられたというのは十分すぎるほど幸せですよね。でも、それは周りのみなさんのおかげだと思います。事務所の森田さんやなみきさん、ファンの人。そして、おじいちゃんおばあちゃんも。もう、ここまできたら、とことん好きなようにやり続けなきゃダメでしょ、とも思います」