べんさんの歌で育った大人

 40年間、日本全国で公演を行っていると、「まるで人工衛星のように何年かおきに同じ地域でコンサートを開くことになるんです」と事務所のなみきさんは言う。幼いころにべんさんの歌を聴いた子どもたちが成長し、大人になって、自分の子どもを連れて歌を聴きにやってくる。

「この仕事の喜びは、行く先々でたくさんの人との出会いがあることです。何年かごとにお会いすることで、子どもも大人も成長して、一緒に人生を積み重ねていくようなつながりになっています。日本中にお互いに思いを寄せ合う大きな家族がいるように感じています」(なみきさん)

 べんさんの歌声が全国に広まったのは、おやこ劇場によるところも大きい。おやこ劇場とは、親子で演劇や音楽など舞台芸術を鑑賞することを目的とした団体で、全国にさまざまな団体が存在し、ネットワークでつながっている。

みわ幼稚園の子どもたちをステージにあげ、みんなで大合唱した 撮影/伊藤和幸
みわ幼稚園の子どもたちをステージにあげ、みんなで大合唱した 撮影/伊藤和幸
【写真】子どもをギューっと抱きしめる、べんさん

 前出の門嶋さんも24年前、小学校3年生のとき、おやこ劇場で初めてべんさんに出会った。

「インパクトが強かったですね。モジャモジャ頭で変顔、変な声。奇抜な歌詞の『ゴキブリの唄』『はらぺこの犬』もあれば、『はえをのみこんだおばあさん』なんて子どもは抱腹絶倒です。でも僕は、『息子に』がいちばん心に残ってる。大人になったらこの歌のような父親になって、自分の子どもにこのことを伝えようと心に決めました」

 門嶋さんは、その歌のこの部分にときめいたと、つい昨日のことのように話す。

《車よりも丈夫な身体/お金よりも思い出を/宝石よりも明るい笑顔/僕が君に送りたいもの/学べ学べ この世の中の/お金で買えない美しいもの/君に残してあげたいものは/生きるための知恵と勇気》(『息子に』)

 中学のときには、「いい父親になる」と紙に書いて机に貼り、ギターを買って独学で練習したと笑う。そして、大人になり、結婚し、子どもが3人生まれた。子どもが増えるたびにコンサートに子どもを連れて行って報告した。「お、またひとり増えたね」と何度も声をかけてもらった。

 今年11月、門嶋さんは自宅の1階を介護施設に改装し、独立開業することを決めた。

「これまで介護施設で社員として管理職をしてきたのですが、理想の福祉ができず限界を感じていたんです。独立するまでには気持ちが揺れましたが、べんさんが30歳でプロになったことや、ずっと好きだった『はらぺこの犬』の歌詞に支えられました」

 その歌に登場する犬は、はらぺこのときに食べ物をチラつかせるおじさんに捕まり、動物園の檻の中で猫の鳴き声で鳴き続けなければならなくなる。自分を偽り続けて会社で働くことと『はらぺこの犬』が門嶋さんの中で重なった。

「次は、開所した僕の介護施設に、僕に力をくださったべんさんを呼ぶことが目標です。まずは利用者様とご家族のためにしっかりと心を込めて仕事をし、コンサートも実現させたいと思っています」