それは一方で、彼女のブレなさを示している。簡単にキャラクターを捨てないその一貫性、変わらない姿をずっと見せてきたというイメージも、支持理由のひとつだろう。
完璧すぎるものを手放しで支持することには抵抗があるという、そんな視聴者心理に合致している面もあるように思う。
「嫌悪」から「憧れ」の対象へ
田中みな実には複数の顔がある。努力家、ぶりっ子、闇キャラ、美のカリスマといった面だけではない。自立した“職業人”としての顔だ。
TBS退社当初、他局のバラエティー番組に呼ばれた彼女は、フリーになったのは10年後の自分のキャリアを見据えての決断だったと、繰り返し語っていた。後輩が次々と入ってくる中、“ぶりっ子”だけでは自分の将来の立ち位置が見えない、と。
「30歳になるまでにもっといろんなことに挑戦したいのに、現状維持のまま30歳を迎えるのが怖かった」(フジテレビ系『ボクらの時代』2016年11月27日)
そんな自立した生き方、さらに言うと、女性として可愛く・美しくありたい自分を捨てずに仕事でも自立する、そんな生き方を実践しているという面も、同性からの憧れの対象なのかもしれない。
もちろん、女性人気の高さにばかり注目するのはどうかとも思う。“女性に人気”というのは、男性にとって“エロい”ものをこの時代に堂々とテレビでお届けするための、体裁のよい包装紙なのでは、とも邪推する。
いずれにしても、田中はさまざまな顔をテレビの画面上で見せている。そして、どこまでがキャラクターで、どこからが素なのか、見るものを手玉に取りながら、そのキャリアを着々と築き上げている。
田中みな実とは何者か。そんな問いをめぐり、この記事も含め各所で多数の言説が生み出されているのは、自身の虚像と実像をコントロールし簡単には正体をつかませない、彼女の卓越した自己プロデュース力のためでもあるだろう。
SNS時代に生きる私たちは、彼女のそんな顔にも魅せられているのかもしれない。
文・飲用てれび(@inyou_te)