母が語る息子・勇一郎
勇一郎は1978年、成田空港で整備士をする父とキャビンアテンダントの母のもとに生まれ、8歳のときに千葉県野田市の現在の実家に引っ越してきた。地元の小中学校を卒業後、埼玉県内の高校に進学。
「勇一郎は小学校から野球をやっていて、高校のころには工場やコンビニでアルバイトをしていました。明朗快活で友達が多い子でした」
と、勇一郎の母・凪子さん(68・仮名)は週刊女性の取材にそう答えた。母や家族には“できた息子”でいた勇一郎だが、家族には見せない一面もこのころからあった。
「小学校のときから数人の生徒と弱い者いじめをしていた。自分より弱い者には強く出るタイプ」
と、元同級生。
大学を出た勇一郎は父に憧れJASの子会社に就職するも数年で離職。その後、都内のガス会社に就職するが'07年には離職。このころ、1度目の結婚をしている。
「なぎささん(33・心愛ちゃんの母=勇一郎とともに逮捕)とは2回目の結婚で、別れた先妻との間に子どもがいます。最初の結婚相手は、なぎささんのように見た目はおとなしいが勇一郎とよくケンカする気の強い面がある女性でした」(凪子さん)
勇一郎を昔から知る知人によると、
「最初の奥さんは勇一郎の暴力が原因で逃げた」
それでも勇一郎を溺愛する両親は、
「沖縄に気分転換に行きたいと言っていたが、仕事もやめていたので引っ越し費用と生活費を貸し、月に15万円から20万円援助していました。総額は2000万円くらいだと思います」(裁判での母の証言)
30近い息子が職を転々とすることを咎めるでもなく援助する両親の姿。
「勇一郎は幼いころ病弱だったので、家族で頻繁に沖縄に旅行していました。だから勇一郎にとって沖縄は楽しい場所なんでしょうね」(勇一郎をよく知る知人)
沖縄に渡り、観光関係の仕事についた勇一郎は、のちの妻・なぎさと出会い'08年2月に結婚。しかし同年9月に心愛ちゃんが生まれてすぐに夫婦は別居、'11年に2人は離婚。またもや勇一郎の暴力が原因だった。
なぎさの母は、
「被告には悪い印象がある。明るかったなぎさはすぐに泣く子になってしまった。子育てができないと泣いて怯えていた。何をするにも怖くてずっと怯えている状態になってしまった」
携帯のチェックに行動監視、家庭内でのモラハラやDVがひどかったことも明かした。
娘と孫を守りたかったなぎさの母は離婚を助言。心愛ちゃんとなぎさは勇一郎の支配から逃れたものの、'16年に8年ぶりに再会し復縁。'17年に再婚する。6月には次女が生まれ、母親のなぎさは産後うつで沖縄にひとり残ることに。8月、勇一郎は心愛ちゃんと次女を連れて野田市のアパートに移り住む。勇一郎は入院中のなぎさを無理やり連れ出し転居させ、心愛ちゃんの地獄の日々はこのころから始まった。