変わらぬ舞台への情熱
故郷・木曽の山深い里を後にして半世紀。外波山は人の縁を大切に、気がつけば、大好きな“野外劇”を突き詰めてきた。
「この道に進むと決めて進んできたわけじゃない。野外劇の楽しさを見つけてしまい、東北や海外へゆくことになった。振り返ったら自分の好きなことをやってきた感じだね。演劇はどこでもできるんだよ」
そう話す外波山に、ある光景が浮かんでいた。
盟友・中上健次没後20年を記念して2013年の夏。外波山は花園神社で封印されてきた『かなかぬち〜ちちのみの 父はいまさず〜』を再演。
その芝居が故郷の仲間たちの協力を得て、外波山の故郷・南木曽でも蘇った。
「時の町長が高校の1級下で、故郷でもやってほしいという声が上がってね。同級生たちが実行委員会を立ち上げ、役者スタッフ50人が1週間泊まり込みで準備に追われたよ。壮大な野外劇を見せられて、恩返しができたかな」
その舞台となるのが、木曽川を渡る日本最大級の木製の吊り橋「桃介橋」が架かる河川公園。
皐月のころには躑躅(つつじ)が咲き乱れ、鯉のぼりが泳ぐ天空はその夜、荘厳な静けさに包まれた。
「この作品は、楠木正成と噂される盗賊の首領で全身を鉄の肌に変身する『かなかぬち』を、父の仇と追う姉・弟の物語。火のエネルギーなくしては語れない作品として封印してきた」
来るなら来い、
愚か者らめ。
天空への道は、
光が光りすぎる闇じゃ!
と叫ぶ外波山の声が川をも揺るがす。
結果、この山奥で行われた野外劇に、3日間で2000人以上の観客が訪れた。
「故郷を愛してやまないトバが、この町で演じるにふさわしい芝居をやった」
と実行委員会にも加わった幼なじみの赤坂孝さんは、当時を振り返り懐かしげに話す。
故郷を旅立って半世紀。旅回り一座に心奪われた文明少年は、ゴールデン街を根城に、これからも野外劇を作り続けていく。
─演劇はどこででもできる。
という言葉を信じて。
取材・文/島右近(しまうこん)放送作家、映像プロデューサー。文化・スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材執筆。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』を上梓。現在、忍者に関する書籍を執筆中。