海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第7回目のゲストはタレントでファッションデザイナーのマリエさん。10年ほど前は幾度となく“遊び倒していた”というふたりの再会にトークが止まらない!(本対談は緊急事態宣言発令前に行われたものです)
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しげる「いきなり直球の昔話になるけど、『東日本大震災』での原発事故のあたりにマリエがアメリカ(NY)の大学に留学をしたころ、『セレブタレントは逃げるのか~』って酷いことを言う人達もいたと思うけど、その渡米は逃げたっていうよりも、もともと決まっていたことだったんじゃなかったっけ?」
マリエ「決まってた。10代の頃から憧れていたパーソンズ美術大学でファッションについて学びたくて。デザイナーがやりたいのかスタイリストがやりたいのか分からなかったから、ちゃんと勉強しようと思っていたの。で、入学が決まって9月から大学が始まっちゃうから、その前に住む場所も探さないといけないわけじゃん? それで6月にはアメリカへ。そうなると自動的に3月末でレギュラーを終わんなきゃいけないの。
だからレギュラー番組の人たちは『マリエちゃんは3月で終わりなんだよね』ってことはみんな知っていて。突然やめて“もう明日行きます”じゃなかった。そんなときにちょうど311があったの」
しげる「当時、Twitterで炎上してたよね? 最近は『炎上』が当たり前(?)のように日常で起きるけど、当時はインスタも流行っていなかったし、そんなに炎上ってなかったような気がする」(編集部注:東日本大震災直後ツイッターを通じて大量に寄せられた「寄付しろ」といったコメントに反発するようなツイートで炎上)
マリエ「はい、私、炎上ファーストレディです(笑)」
しげる「やっぱりそうなんだ(笑)。その背景に何があったかも聞いていいかな」
マリエ「あのころ、私、セレブタレントって言われてたでしょ。それでだろうけど、東日本大震災の後に、『セレブなら寄付しろよ!』みたいなコメントがすごくたくさん私に寄せられてたの。だけど私、『ファンのみんな大丈夫?』ってツイートして気遣いすることも出来なかった。そのとき交際していたパートナーが、震災の被害がすごく大きかった宮城県気仙沼市出身で。隣で『家族と連絡がとれない』って言ってたんです。私、それを必死でサポートしようとしていて」
しげる「心無いコメントをスルーする「心の余裕」なかったんだね」
マリエ「もちろん私の言い方も悪かったと思う。すごい反省してる。でも当時、『マリエちゃんなにも言わないの?』とか『なにか声明出さないの?』とかもすごい来てて。言い訳になるかもしれないけれど、あまりにいろんなことが頭のなかをグルグル回って、若かったこともあり、『寄付しろ』っていう人たちのコメントに向き合うことが出来なかった」
しげる「そういうことか。あのころからかな? 『寄付をしたら公表するべき』みたいなSNSの流れが出来てきたよね。“寄付をしても公表をする必要あるのか?”という疑問を少なからず、しげるは持ってたな。しげるはブログで公表していた気がするけど。なんか、公表しなきゃいけない感覚にとらわれてた気がする。結果、マリエは、テレビのお仕事を一気に辞めて、渡米したじゃない? 日本に戻ってきたときに仕事が出来なくなるんじゃないかって怖くなかったの?」
マリエ「今はSNSもあって自分で発信も出来るし、当時から“辞める”って感覚はなかった。テレワークって言葉が注目されてるけど、あのころから私、“別に世界のどこにいても仕事できるじゃん”と思ってた。実際、『ViVi』さんも“アメリカで写真撮影しますのでそれを日本で掲載してもいいですか”って取材もあったし。ただ、確かにテレビには出てなかったかな。出ないって決めていたわけではないけど、別にテレビにしがみつかなくてもいいかなという考えは当時からありました」