昨年の4月から1年間、私も毎朝、BSプレミアムで再放送されていた『おしん』を見ていました。35年も前の作品を今ごろになって放送していただけるなんて、とても幸せでしたし、たくさんの方に見ていただいて、心からありがたいと思っています。
物語に隠された想いとは
『おしん』は、私が長年あたためていた物語です。「激動の時代を生きてきた、明治生まれの女性の人生を書きたい、書かなければならない」という使命感に突き動かされて書いた作品ですが、その根底には「反戦」への強い思いがあります。
私が通っていた大阪の高校は、与謝野晶子さんの母校でもあり、与謝野さんが書かれた反戦の詩「君死にたまふことなかれ」の屏風が置いてありました。ですから、幼いおしんが、日露戦争の脱走兵から、その詩を通して「戦争をしてはいけない」と教わるくだりはどうしても入れたかったし、おしんが苦労して育てた長男が兵隊にとられ、あっけなく死んでしまうというのも、戦争の悲惨さや非情さ、むなしさを描くためには必要でした。
また、戦後、佐賀県出身の裁判官が闇米を食べることを拒否し、栄養失調になって餓死するという事件が起こり、話題になりました。当時、軍部の偉い人たちが、戦犯として裁かれることもなく、軍に蓄えられていた物資を闇で売って大儲けしているのを目の当たりにしていた私には、自分の筋を通して亡くなったその裁判官がどれほど立派に思えたか。「おしんの夫が、戦争に協力した責任をとって、自ら命を絶つ」という筋書きにしたのも、夫の出身地を佐賀県にしたのも、そのためです。
おしんに、初子と希望という、血のつながらない2人の子どもを育てさせたのは、「愛情さえあれば、他人同士でも立派な絆が作れる」ということを描きたかったからです。私の友人に、戦災孤児を引き取って育て、東大にまで通わせた人がいて、その絆の深さに深い感銘を覚えましたし、私自身、ひとりっ子で、早くに両親を亡くしたため、血のつながりの有無にかかわらず、人と人とが信頼を寄せあうという関係にずっと憧れていました。
なお、『おしん』を書き始めた段階では、おしんの人生の大きな流れと、少女時代前半のプロットぐらいしか決まっていませんでしたが、おしんと浩太(おしんの初恋の相手)が伊勢の海辺で語らうラストシーンだけは、私の頭の中に明確にありました。
お互いに大切に思い合いながらも、それぞれ別の人と結婚し、人生の終盤にさしかかったときにようやく「本当の意味で心を触れ合えるのは、やはりこの人だった」と気づく。
そんな男女の愛の形は、私にとっては理想であり、どうしても最後は、おしんと浩太のラブシーンで終えたかったんです。私は、キャスティングにはほとんど口を出さないのですが、乙羽信子さんにおしんを、渡瀬恒彦さんに浩太を演じてほしいということだけは、プロデューサーの方にお願いしました。
このように、『おしん』には、私の思いや夢や願望がたくさん反映されています。いえ、『おしん』に限らず、テレビドラマには、必ず作者の願望や価値観が反映されます。だからこそ、人の数だけ多種多様なドラマが生まれるのだと、私は思います。
(取材・文/村本篤信)