だが、ジュリーの関係者はコント参加に難色を示した。
「なんてったって“天下のジュリー”ですから。彼は当時大ブームだった“グループサウンズ”全体を引っ張るプリンスでしたからね。プリンスに“お笑いなんてやらせられるか!”という話ですよ。やる必要ないくらい売れていましたから」(田村氏)
それでもジュリーはコントをやった。番組にくるゲストの中には、しぶしぶコントに参加する歌手もいたが、
「沢田君は“全部お任せします”と。たしかに気難しいところもあるし口数は多くなかったですが、とてもやりやすかったですよ」(田村氏)
志村けんと沢田研二は似たもの同士
ジュリーは笑いに対して常に真摯な姿勢で臨んだ。
「台本にないアドリブを勝手にやっちゃう目立ちたがりのゲストもいて(苦笑)。そうするとこっちの計算が狂っちゃうんだけれど、沢田君はしなかった。志村自身も非常に気難しい男。普段はわりと寡黙でしゃべりもあまり面白くないんだけど、そういう部分も沢田君と相通じるものがあったのかも」(田村氏)
そうしたコントの大部分の台本は志村さんが手がけた。
「“彼となら、こんなことしたら面白いんじゃない?”といくつか設定を考えていましたね。沢田君のマネージャーやファンの反感を買わないようにとか、どう転んでも彼がウケるようにとか、そういうことまで考え抜いて。たしかいちばん最初のコントは、志村が大スター役で、沢田君がダメな付き人役という、ふたりの立場が逆転したものだったと思います。志村がふんぞり返って“おい! お茶!”とか言うと、沢田君が"買ってきました!”なんて妙な飲み物を持ってくる……とかね」(田村氏)
当時、舞台上で少しよろけただけで、客席に詰めかけた女性ファンからは「キャー!」という黄色い大絶叫が起こったというジュリー。そんな彼が、志村さん相手にドジを連発すると客は大ウケ。
「ウケれば沢田君だってうれしい。沢田君は笑いの気持ちよさを志村から教えてもらったんじゃないかな。“志村さんの作ったコントなら大丈夫”と、そうやって信頼関係ができていった」(田村氏)