私には頼る実家も、なんの後ろ盾もない。それでも、退職日と同時にアパートから退去しなければならない。
「今より負担がマシならなんでもいい」とあわてて転職先を見つけ、有り金をはたいて家賃の安いアパートを契約した私は、再び無一文で新たな生活を始めた。
しかし、悲鳴をあげる身体を酷使し続けたことが祟ってか、2年後に病を発症する。今度こそ、まったく働けない状態になってしまった。全身の皮膚が黄色くなり、激しい胃腸の痛みや嘔吐をくりかえし、食事すらまともに摂れないから体重は30キロ代にまで落ちた。外に出ると全身に脂汗をかき、めまいや吐き気でその場にしゃがみこむこともしばしばだ。
「奨学金」という数百万円の負債をかかえているうえ、誰にも頼ることはできない。行政に相談しても、担当者は「まずは親族に援助してもらってください」と繰り返すばかりだ。もう終わりだ。本当にそう思った。
「お世話になりました、今までありがとうございました」。退職日、上司への挨拶で自分からでた言葉が、まるで人生リタイア宣言のように思えた。
貧困と自己責任論と家庭の呪い
それから数年が経ち、今は、こうして文章を書く仕事で生計を立てている。
退職後、半年以上ほとんど何もできないまま、薄暗い部屋の天井を見続けるだけの毎日を過ごした。失業手当が底をつく直前、慌てて申し込んだアルバイトでギリギリの生活を送っていたころ、思いつきでブログをはじめ、誰かを呪うような気持ちで文章を書くようになった。するとそれがたまたま編集者の目に留まり、いつのまにかそれが仕事になったのだ。
初めて「原稿料」をもらってから、2年半ほど経つ。フリーランスのため収入にはバラつきがあり、相変わらず生活に余裕はないけれど、まだなんとか食いつないでいる。2週間に1度、心療内科で薬を処方してもらいながら、なんとか生きている。
仕事をもらえるのは大変ありがたいと思う一方で、まだこの状況を手放しに喜ぶことはできていない。吹いたら飛んでいきそうなほど軽い身分では、来月も変わらずに仕事がある保証は一切ない。
安定した生活を送りたくても、おそらく一般企業で働くことは厳しい。会社員を辞めてから3年以上経つが、まだ体調もよくはなっていないのだ。
今でも毎日のように悪夢にうなされ、悲鳴とともに飛び起きることがしょっちゅうある。薬の量を増やしても状況は変わらず、ふいに「死にたい」と思うこともある。
人が貧困から抜け出すのは、なんと難しいことだろうかと思う。生まれついた家庭の呪いは、いつまで自分を苦しめるのだろうか。そんな不安に取り憑かれたまま、いつまで続くかわからない今日を生きている。
吉川ばんび(よしかわ・ばんび)
'91年、兵庫県神戸市生まれ。自らの体験をもとに、貧困、格差問題、児童福祉やブラック企業など、数多くの社会問題について取材、執筆を行う。『文春オンライン』『東洋経済オンライン』『日刊SPA!』などでコラムも連載中。初の著者『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(扶桑社新書)が話題。