里子さん(仮名・40代)の場合

 もう一例、紹介しましょう。里子さん(仮名・40代)の母親が家を出たのは、彼女が小学校低学年のときでした。

 ある朝起きたら、母がいなくなっていたのですが、父親は何も説明してくれなかったそう。里子さんはとても不安でしたが、幼い妹を守ろうと、ただ必死だったといいます。

 後にわかったことですが、母親はこのとき離婚したら子どもたちと暮らせるように、仕事や住まいを探していたのでした。父親の浮気が原因でしたが、父親はそんな自分に都合の悪いことを、子どもには話さなかったのです

 当時は景気がよかったこともあり、母親は幸い住み込みの寮母の仕事を見つけ、里子さんと妹を引き取って暮らし始めます。しかし、喜んだのも束の間、寮が閉鎖されることが決まり、母親は再び、職と住居を探すことに。

「それで結局、母はお見合いをして再婚することにしたんです。中卒だったので、子ども2人を養っていけるような仕事は見つけられなかったんだと思います。母は中学を出たとき、兄の進学と重なって、高校に行かせてもらえなかったので」

 これで生活が落ち着けばよかったのですが、残念ながら、母の再婚相手は酒癖の悪い人物でした。ふだんはよいのですが、酒を飲むと人が変わってしまうのです。しかし経済力がない母親は、ここでもなかなか離婚に踏み切れず、別居と同居を繰り返したそう。

 ようやく母子家庭に戻ったのは、里子さんが高校生のときのこと。

 経済的な理由から結婚(再婚)するものの、問題のある相手を選んでしまい、でもまた同じ理由で、今度は離婚に苦労する――このサイクルを繰り返す母親が、一定数いることを、取材していると感じます。

子どもたちは親のつらい顔を見たくない

 どうしたらいいかといえば、前回(お金がないため離婚できない母親)同様、女性はやはり「子どもをもっても収入を確保し続けること」、そして「子どもが望むのは必ずしもお金ばかりではないと知っておくこと」が必要でしょう。また、子育て全般において、公的な経済サポートをもっと充実させることも必須です。

 もちろん「親が離婚して、お金がない生活でつらかった」という子どもも大勢います。それも間違いない真実なのですが、「母があんなにつらそうな様子を見るくらいだったら、母子家庭でお金がないほうがまだマシだった」という声を聞くことも、意外と少なくありません

 子どもはおそらく、母親がつらそうなのを見ると、「自分のせい」だと感じてしまうのでしょう。自分を養うために母親が再婚してつらい思いをしているのであれば、それはつまり自分のせいで母がつらい思いをしていることになるからです。

 先ほど登場した咲さんも、母親がよく「私は、あなたたちのためにがんばった」と言ってくるのがつらかった、と話していました。「そう言われると『返さなきゃ』という、義務感のようなものが出てくる」というのです。

 そう考えると、母親はたとえお金のための再婚がつらかったとしても、子どもがそれを「自分のせい」と感じさせないようにすることが大事なのかもしれません。

 つらい様子を見せない、というのは難しいにせよ、あくまでもそのつらさは大人たちのなかで解決されるべき問題であって、子どものせいでは全くない。それを伝えられると、子どもはちょっとラクになれるのではないでしょうか。

大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。