ひとついえるのは、J-POPバブルの反動だろう。当時は音楽的才能あふれる男たちが大金も美女も手に入れられた時代だった。
つんく♂は2000年に出した『LOVE論』(新潮社)のあとがきにこんなことを書いている。
《ここまで読んでくれた人は、俺がどんなに女好きで、女の子のことばかり考えてるか、もう十分に分かってもらえただろう。それ以上に、俺を表現する音楽という場所に対しての情熱も伝わっただろうか》
そんな男が、色とりどりの女の子を集めたグループを作り、国民的ヒット曲を連発したのだ。これほど幸せなことはないだろう。
また、小室は'09年に出した『罪と音楽』(幻冬舎)のなかで、失速後も贅沢をやめなかった理由をこう語っている。
《どれだけの借金があっても、一回のチャンス、一曲のヒットをものにすれば、すべて挽回できるという思い上がりがあった》
さすがは芸能人の枠を超え、長者番付日本4位まで登りつめた男だ。
しかし、大きすぎる成功はそれ自体が心身をむしばむ。そのぶん、落ちていくことの不安にもさいなまれるし、贅沢かつ多忙な生活は不摂生につながるからだ。
とはいえ、その危ういバランスこそがあの時代の魅力だった。たとえば今、秋元康が構築しているシステムにはそれが希薄だ。彼が若いころにプロデュースした『おニャン子クラブ』では、そのメンバーと結婚するといった色っぽいこともしたが、現在、手がけているグループのメンバーたちとの関係はあくまで、富も名声も十分に得た大先生と、娘どころか孫みたいな教え子にすぎない。
そんな秋元が今回、乃木坂46の新曲を小室に依頼した。小室にとっては、引退状態からの復帰作だ。秋元にしてみれば、自分とは違う天国と地獄を経験した小室によってグループに刺激がもたらされることを期待したのかもしれない。
人間の欲が振り切ったところで生まれる音楽には、独特の色気がある。そして、J-POPバブルの寵児たちの凋落は、そんな時代が過去になったことを痛感させる。それゆえ、当時のヒット曲がいっそう懐かしく、愛しくも感じられるのだろう。