女子高生というワードは使わずに
それが感じられる箇所を、投稿のなかから抜粋してみたい。
《貴方の代わりに私が泣いている。何でこんなに縛られているんだろうって。何でこんなに生きづらい世界なんだろうって。どうしてこんなに頑張っている人には邪魔が入るのだろうって》
《くやしいね。こんな事。どれだけの試練をあたえれば気が済むのかな?》
《まっすぐ開けた道に突然おおきな岩が落ちて来てしまったと悔しさで一杯です》
比喩表現を使い、具体的なワードを避けて、避けて、ポエジーな方向へと走っているのがみてとれる。なかには『文春』の報道自体を“ガセ”と断定するような書き込みも多く、その投稿に寄せられるのは、たくさんの「いいね」──。応援メッセージを発信しながらも核心に触れないような表現で互いを気遣う、傷ついた女子たちのヒーリング活動である。
コメント欄がなぜこのような“山P擁護”の流れを生み出しているのか。それは、今回の自粛にあたってジャニーズ事務所が出した公式コメントが「年齢確認したにも関わらず成人だと偽った女性と飲んだことは本人たちも認めている」としながらも、“お持ち帰り”の件については一切触れない(認めていない)という解釈の余白を残したからではないか。
ファンにとって身分を偽り山Pと飲んだ女子高生は、彼の活動を妨げる“邪魔であり試練であり大きな岩”であった。そして、“お持ち帰り”については事務所が認めていないからガセネタとみる。つまり、山Pはハメられた側なのだと。
あらゆる情報がネットで流れてくるこの時代、人はみな内容を取捨選択するリテラシーが試されている。信じたいものだけを信じ、聞きたくないことには耳を塞ぐというのは、偏向を生むという意味であまり良しとされていない。しかし、あのコメント欄の不思議な活気をみるに、こと夢を売るアイドルのゴシップに関してはそれはそれでアリなんじゃないでしょうか。
《皿乃まる美・コラムニスト》