最後に“捨て鉢”について。僕は職を転々としてきました。今は浮草のように漂っていますが、きっとどこかに僕が根を下ろせる地があるはずだ、という大変、楽観的で虫のいい希望を持ち続けたんです。もしも、“どこで何をしても自分は駄目な人間なんだ”という捨て鉢な気持ちになっていたら、犯罪者に誘われて犯罪の道へ進んだかもしれません。図々しく楽観的になって希望を持つことで、次第にその流れに乗っている人達と出会い、引き上げられると信じてきました

つらいとき、
志茂田景樹さんはどうしてる?

――なるほど。でも人を救う言葉がある一方で、最近はネットでの誹謗中傷が問題視されるなど、言葉はときに「凶器」と化してしまうことも。どう向き合っていったらいいと思われますか?

「SNSに参入してくる人の目的はさまざまです。中には犯罪的な目的を秘めた人もいる。でも、ネットでいろんなことを共感できる誰かとつながりたいという純粋な目的の方も多いんですよ。リアル社会では理解しあえる友達がいない人のケースが少なくありません。

 中にはネットの怖さを知らない人もいる。リアルな社会より、ネットで自分の思いを素直に表現していると突然、不意打ちのように揚げ足をとられて中傷されてしまう。ほとんどがネットの誹謗中傷に免疫のない人なので、グサリと心を芋刺しにされてしまうものです。

 悲しい事実を偶然、知ってしまったことがありました。もうだいぶ前のこと。中傷されて死ぬほど傷ついたという人の相談に答えたんですが、その人の別アカウントと思われるツイート履歴を見ていったら、人を誹謗するものがいくつもありました。この人は純真な気持ちでツイートをはじめたものの、誹謗中傷され絶望し、今度は自分が誹謗中傷する側に回ったのでしょう。このケースはみなさんが考えているより多い。こういう人は一時、SNSから引いていたほうがいいと思いますね。

――そんなネット内でも、リアルな社会でも、何かつらい出来事があり、救いを求めて志茂田さんのツイッターに集まってくる人が多くいます。ご自身、つらいことがあったときは、どうされているのでしょうか。

「楽しかったときのことを思い浮かべます。“万事塞翁が馬か”とつぶやいてつらいことと向き合うことも。

 自分のタイムラインに並ぶ言葉に励まされることもありますよ。今、筆記は30分以上は無理なんです。パソコンは数時間続けられますが、それでも手首の関節が痛むことがあります。でもツイッターを見ると、ときに“調子が出ているぞ、頑張れ”と応援されたような心地になります」

――現在80歳。最後に今後の人生設計について教えてください。

持病との兼ね合いもありますが、急がず焦らず90代突入までにはライフワークの長編を脱稿させたいです。ほかの執筆活動、ネットの活動と並行しながらですので困難がある道程ではありますが、新たな元気を引き出してくれそうです。

 90代からは余生と思っています。可能になっていれば車椅子で旧中山道を旅してみたいですね。旧東海道を完歩して次は中山道、という矢先に関節リウマチを発症しましたので。楽しいリベンジになることでしょう」

志茂田景樹(しもだ・かげき)
1940年、静岡県生まれ。1976年に『やっとこ探偵』で小説現代新人賞を受賞、作家活動をスタート。1980年には『黄色い牙』で直木賞に輝き、その後も多くの著書を執筆、話題を呼ぶ。さらに奇抜で個性的なファッションが注目を集め、ファッションショーでモデルを務めたり、『笑っていいとも』のレギュラーになるなど、多くのバラエティー番組に出演して人気を博す。1998年に『よい子に読み聞かせ隊』を結成し隊長に。Kindle版『死にたいという本当は死にたくない私』が話題。