酒気帯び運転の疑いで逮捕された元TOKIO山口達也の“飲酒運転"報道がいまだ止む気配がない。
当初は警視庁の調べに「酒が残っているという自覚があった。事故さえ起こさなければ捕まらないと思っていた」と容疑を認めていたのだが、2日後の東京地検の取り調べに対し、「酒が残っているとは思わなかった」と否認。“証拠隠滅の可能性がある"として、家宅捜索される事態にまで発展した。
2018年に書類送検された『女子高生に泥酔キス』の一件も含め、まさかあの山口達也がこんなことになってしまうとは、誰が想像できただろうか。テレビを見ている限り、ほかのメンバーの誰よりも熱心に農作業に取り組んでいたし、後輩思いで頼れるアニキのイメージが強かっただけにショックも大きかった。
“山口達也とアルコール"でいえば、2016年に行った離婚会見の際、別れたきっかけについてこのようなコメントを残している。
「大きなひとつの原因というのはありません。すべてが原因だと思っています。趣味のサーフィンだったり、お酒の飲み方であったり……」
『サーフィン離婚』というのがどんな類のものだかはわからないが、このときからすでに飲酒量は相当なものであったと見てとれよう。しかし、報道にあるような“アルコール依存”になるまでには長い歴史があったことも想像に易い。果たして彼は酒とどのように付き合ってきたのだろうか──。「山口達也のアルコール史」を過去の発言などから辿ってみたいと思う。
25年後を予期させる“友人の留守電”
ジャニーズとしてはそこそこお兄さんな17歳(高2)で入所、まもなくTOKIOとしてデビューする。20歳のときに父親とケンカしてひとり暮らしを始めた。
《クルマを買おうと思って金を貯めてたのに、家を出るために使っちゃったんだよなぁ》(『ポポロ』2002年8月号)というのが理由らしい(ちなみにバイクもすでに大好きだったようで、高校時代にバイト代と親から借りたお金で購入したという資料も。なんと中古で50万円)。
そんなちょっぴりヤンチャ臭のする彼の、深酒にまつわる最も初期のものと思われる発言は、確認できる限りだと1995年(23歳当時)。
《不摂生で内臓の調子はよくないけど、外側は大丈夫ですよ。たぶん、車にひかれても平気じゃないかな、アハハ。バイクでけっこう突っ込んだけど、全然ケガしないもん。これ、自慢にならないか(笑)》(『JUNON』1995年3月)
25年後を予期させるかのような発言にドキッとするが、この根拠のない自信や調子のいいノリに、今となっては何か因果を感じずにはいられない。同年にはほかにも友人から留守番電話に《飲みすぎると顔がはれるから気をつけろ》と吹き込まれる(『エフ』1995年9月)など、酒豪の道を歩み始めたばかりのころを思わせる描写もある。