母親を捨てるという覚悟
「母の好きなところですか? 手、かなあ。家事をしないから所帯じみていないというか。幼心にマニキュアを塗った母のきれいな手が好きでしたね」
そう話すと、ふっと『娘』の顔になる。母親の前では、最後まで見せなかった顔だ。
防波堤役の父親が亡くなり、母親との関係は、一触即発のごとく悪化していた。
「家の中は、テレビショッピングで買った段ボールで埋め尽くされ、親戚には父の遺産を私が独り占めしたなんてデマを言いふらす。仕事中も何度も電話をかけてきて、気に入らないとガチャンと切っちゃう。めちゃくちゃでした」
娘として、父親の診療所を引き継ぎ、懸命に守ろうとしていた。だからこそ、気持ちをかき乱す母親の言動が許せなかった。
「死んでほしいと思ったことは何度もあったけど、初めて、殺してしまうかもって思った瞬間があって。そのとき、心を決めました。世間から冷たい娘と言われようが、もう母親とのかかわりを捨てるしかないって」
当時の様子を知る、20年来の友人、高木麻也子さん(43)が話す。
「彼女、お母様のことは割り切っていて、ほとんど話題にしませんでした。でもそれは、お母様に何かあれば、ひとり娘として自分が助ける、という前提での割り切りだと私には思えました。本来の彼女は、姉御肌で、すごく面倒見がいい人ですから」
高木さんが、40歳にして看護師を目指したときも、最強の応援団になったと話す。
「看護学校の受験を前に、試験対策の問題をこれでもかというほど送ってくれ、合格発表のときは、結果が怖くて見られない私に、『受かってるよ! 早く見な!』と、大喜びで連絡をくれて。本当のお姉ちゃんみたいに。お母様とも、そんなふうに家族になりたかったんじゃないかな」
思いはかなわなかった。
父親の死から10年の歳月が流れたころ、くしくも父親と同じ76歳という年齢で、母親は亡くなった。心臓発作による急死だった。
第一発見者は、おおたわさんだった。すでに息絶えている母親に、懸命に心臓マッサージを続けた。
「なんででしょうね、あんなに死んでほしかったのに──。今思うと、釈然としなかったのかもしれないな。私たち母娘の問題は、何ひとつ解決していない。ここで終わらせたくなかったんですね」