“逆・出禁”で応じるスターも
なお『紅白』では、本番だけでなく出場をめぐってもトラブルが生じがちだ。1973年、それまで10年連続でトリを務めていた美空ひばりが落選。きっかけは弟・かとう哲也のたび重なる逮捕と、暴力団への参加だった。
いわば、国民的番組が身内の不祥事を理由に歌謡界の女王を“出禁”にしたわけだが、決め手になったのは、NHKが行う人気アンケートでひばりの人気が急落したこと。つまり、女王に引導を渡したのは世間の空気だったのである。
これに対し、ひばりは『紅白』の裏でテレビ朝日系の『美空ひばりワンマンショー』に生出演。翌年には、アンケートの順位が回復したため、トリでの出演交渉が行われたが、彼女はこれを拒絶した。
「だって、あちらは1曲しか歌えないでしょう」
と言って、再び『美空ひばりワンマンショー』に生出演。女王がNHKに“逆・出禁”で応じたかたちだ。
このせめぎ合いは’79年の30回記念紅白に特別出演して、当時としては異例の3曲メドレーを披露するまで続くことになる。そのうちの1曲は、弟・哲也が作曲した『人生一路』だった。
これにちょっと似ているのが、サザンオールスターズのケースだろう。’82年に2度目の出場を果たした際、桑田佳祐が三波春夫風の衣装で登場。演歌調で歌いながら「裏番組はビデオで見ましょう」などと呼びかけた。
これがふざけすぎだとして主に年配視聴者の反発を招き、桑田は詫び状を書かされるハメに。サザンは翌年も出場したが、こういうことが面倒になったのか、その後、長らく『紅白』から遠ざかることになる。
『TSUNAMI』が大ヒットして、日本レコード大賞に輝いた2000年にも出場を辞退。そんな“逆・出禁”状態が続き、桑田が『紅白』に戻ってくるのはソロで初出場した2010年のことだ。
とはいえ、かつての詫び状パフォーマンスにしても、今ならおそらく問題にはならないレベル。出禁の基準も、時代によって大きく変わるのだ。