相葉雅紀は、‘03年に放送されたドラマ『ヤンキー母校に帰る』(TBS系)に出演したのを機に、少しずつ才能を発揮し始めた。
「同作は、不良が集まる学校にOBで元不良の主人公が教師として赴任し、生徒たちと成長していく物語。主人公を竹野内豊さんが演じ、相葉さんは小心者で泣き虫ながら生徒思いの新人教師役を熱演しました」(テレビ誌ライター)
先輩の体育教師役で共演した氏家恵は、初々しかった相葉を懐かしむ。
「スタジオの前室にソファーがあって、自分の出番を待つ人たちがそこに座っていたのですが、相葉さんは座らずに端のほうで立っていました。みんなが“座りなよ”と言っても、“いえ、僕はここで大丈夫です”と遠慮していました。ベテランの役者の方が多かったので、緊張していたのかもしれませんが、ほかに誰かが座っていなくてもいつも立っていましたね」
深夜まで飲んで始発の飛行機で
当時の相葉はアイドルというよりも、友達のような雰囲気だったという。
「自分の出番がない空き時間には、私と相葉さんと温水洋一さんの3人でスタジオの中にある食堂に行ったことも。アルバイトの休憩時間のように、3人で丸いテーブルに座ってたわいない話をしましたね。彼は現場に台本を持ち込まないのに、セリフはいつも完璧に頭に入っていました。自分を新人と考えて行動している印象でした」(氏家)
相葉といえば、天然なキャラクターで老若男女問わず誰からも愛されるイメージだ。‘05年に彼が初主演を務めた舞台『燕のいる駅』で共演した猪野学は、当時からそんな雰囲気があったと話す。
「僕とマーキーはすぐに打ち解けましたよ。“マーキー”は、雅紀を縮めたあだ名。舞台では僕たちが仲よしという設定だったため、演出家の宮田慶子さんに“早く距離を縮めてください”と言われ、そういう呼び方にしたんです。彼は天性の人懐っこさがあり、ほかの出演者ともすぐに打ち解けていました。仲よくなってからは、公演が終わった後に僕の楽屋にノックせずに入ってきたことも(笑)。そんなふうに誰かの楽屋に集まって、みんなで缶ビールを飲むのが恒例でした」
稽古が終わった後は飲みに行くことが多かったという。
「当時、嵐の全国ツアーの最中で忙しい合間を縫って稽古をしていたのですが、飲み会にもよく参加していました。次の日に地方でライブがあったときも、夜遅くまで飲んでいました。みんな心配していたのですが、相葉くんは“大丈夫ですよ”と言って、深夜まで飲んで、始発の飛行機に乗ってライブに行っていましたね。飲み会は彼が誘うことが多かったかな」(猪野)
相葉とはたくさん話をしたようで、
「僕たちのすぐ後に大野智さんの舞台があったのですが、相葉くんは“リーダーはなんでもできてすごいんですよ”と話していました。当時、日本テレビ系のバラエティー番組『天才! 志村どうぶつ園』に出演し始めたばかりでしたが、“いまアザラシと生活してるんです”と番組の話もしていましたね」(猪野)
最後の大阪公演が終わると、共演者とユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ繰り出した。
「僕が映画『スパイダーマン』シリーズの日本語吹き替え版の声優をしているので、USJの乗り物『スパイダーマン・ザ・ライド』の声も担当していました。その話をしたら、相葉くんが“行きましょうよ”と誘ってきたんです。僕は“マーキーが行ったら大騒ぎになるよ”と言ったのですが、みんなでUSJのグッズショップで大きな帽子とサングラスを買って、それをつけて半日くらい遊びました。彼は全然周りの目を気にしていなくて、スパイダーマンの乗り物に乗る前に、スタッフに“この声、この人がやってるんですよ”と僕をいじってきました(笑)」(猪野)
舞台が終わってからも、相葉との付き合いは続いた。
「僕は実家に帰って、地元の友達と飲んだときに、酔っ払って知り合いに電話をかけてしまうことがあるのですが、彼はその電話に出てくれます。“飲んでるんでしょ?”と言いながらも話に付き合ってくれたり、僕の友達に電話を代わって普通に話してくれるんですよ(笑)」(猪野)