クリント・イーストウッドのひと言
同じく倉本が脚本を手がけた‘07年のドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)では、料理人の見習い役で主演を務めた。ロケ地となった東京・神楽坂の毘沙門天善國寺の住職・嶋田堯嗣(ぎょうじ)さんは、忘れられないことがあったようだ。
「神楽坂のホテルで打ち上げをした際に私も呼んでいただきました。会が始まる前に、二宮さんは私のところにやってきて、“長い間、撮影に使わせていただいてありがとうございました。お世話になりました”とお礼を言ってくれたんです。タレントの方がわざわざ挨拶に来るなんて、すごくしっかりされている方だと思いましたね」
同じ年には、クリント・イーストウッドが監督した映画『硫黄島からの手紙』に出演し、ハリウッド進出を果たした。
「硫黄島でアメリカ軍と死闘を繰り広げた日本軍将兵と祖国に残された家族の思いを描いた作品です。主演は渡辺謙さんで、二宮さんは戦闘の中で彼と親交を深めていく役を演じました」(映画ライター)
上官役として出演した坂東工は、現場では非常に高いレベルを求められたと話す。
「クリントは現場で撮影の開始、終了についてはっきり言わず、1テイクだけでした。セリフを噛もうが、間違えようが、続けるんです。僕は、前日に必死になって覚えたのに、セリフが飛んでしまったこともありました。でも、二宮さんは1~2回台本を読んですべて頭に入っていたというので、驚きましたね」
撮影中は、出演者全員が同じホテルに泊まっていたため、誰かの部屋に集まることが多かったという。
「僕らが“二宮くんも後でおいでよ”と誘うと、“行きます”と言うのに絶対来なかった(笑)。でも、彼が来なかったのは、雑誌の取材など、日本での仕事をずっと現地でこなしていたからなんだそうです。日本時間とアメリカの時間は違うので、いつ眠るのかと思っていました。ホテルに戻ってからも別の仕事をしていたのに、現場に来れば完璧にセリフを覚えているんですよ」(坂東)
撮影の初日に、最初と最後のシーンを撮ったのだが、二宮の演技は世界をうならせていたようで――。
「物語の最後に、アメリカ兵士に囲まれてスコップを振り回し、気を失って運ばれるシーンがあったのですが、撮り終えた後、クリントが二宮さんを見て“彼でよかった”と言ったんです。クリントはあまりそういうことを言わない人なので、みんな驚いていましたよ。
渡辺さんが亡くなって二宮さんが涙を流すシーンでは、あまりにも自然に泣いていたので、“この人はすごいな”と心から思いました。悲しさや感情が高ぶって泣いたというよりも、感情を超えた何かによって出た涙だったと思います」(坂東)
俳優として海外でも評価された二宮だが、“意外な分野”で活躍するメンバーも現れて――。