《“くん”って呼んでみたい憧れがありまして。で、行き着いた結果が……、やっぱり、やめときます。(周囲から促されて)あの、“キムタくん”っていう……》

 1月3日にスタートした嵐・相葉雅紀の新番組『VS魂』(フジテレビ系)に出演したKing & Princeの平野紫耀。平野によると「ほぼ初めまして」という大先輩・木村拓哉を前に、ジャニーズ伝統の“くん付け”呼びを申し出たのだがーー。

「普通なら“木村くん”のところを“キムタくん”にしてしまうのが平野くんらしいですが、相葉くんは肝を冷やしたことでしょう。でも、もっと衝撃だったのが、後輩からの失礼とも受け取れる呼び名に、当の木村さんが“あり”と容認したこと

 よほどハマったのか、番組放送後に更新した自身のインスタグラムでも《STAYSAFE キムタくん》と使っていました。昔の彼なら絶対にあり得ない対応ですよ(苦笑)」(スポーツ紙芸能デスク)

木村を前に嵐が直立不動

 スターとして一時代を築いた、いや、その活躍ぶりは間違いなく芸能史に刻まれるであろう木村。その全盛期を目の当たりにしてきた後輩にしてみれば“雲の上”の存在であり、ドラマ『教場』(フジテレビ系)で演じる“鬼教官”のごとくジャニーズ内でも恐れられる存在でもあった。当時を知るテレビ局関係者は、

「例えば楽屋挨拶ですよ。同じ局やスタジオでSMAPと収録がかぶると、後輩グループはこぞって挨拶に出向くのですが、もちろん嵐だって例外ではない。

 各々の楽屋を尋ねると、中居(正広)くんは“あい、あい、あーい”と(笑)。(草なぎ)剛と(香取)慎吾は大抵一緒に過ごしていて“よろしく〜”。(稲垣)吾郎ちゃんも柔らかな対応でした。

   で、問題はキムタク。ニノ(二宮和也)や相葉(雅紀)くんが直立不動で自己紹介するのですが、じろりと一瞥して“オウ”の一言だけ。“失礼します!”と扉を閉めると“こえぇ〜”と(笑)。特に礼儀に厳しい木村さんは、後輩グループや、バックダンサーを務めたJr.にとって“魔の楽屋訪問”だったわけです」

 そんな木村がもっとも嫌っていたのが“キムタク”という呼び名。定着したのは、鮮烈な輝きを放った1993年の『あすなろ白書』(フジ系)出演の翌年、1994年放送の『若者のすべて』(フジ系)の頃。主演は萩原聖人だったのだが……、

「萩原くんもまあ尖っていましたからね。“オレは役者、お前はアイドル”という態度に、キムタクも終始“は?”という態度で応戦するものだから、中江(功)監督をはじめとするスタッフが間に入るのが大変でした。同じく共演の武田(真治)さんは巻き込まれたくなかったのか、2人が顔を合わせた時はスッと距離をとっていた(笑)」(前出・テレビ局関係者)

 そして1996年に『ロングバケーション』(フジ系)が放送されると、世の中が“キムタク、キムタク”と大騒ぎ。その一方で、本人は不満を募らせていったのだ。