「息子さん側は、浅香さんの写真などを管理する法人を立ち上げたのですが、世志さんは茨城県に『浅香光代記念館』を建てることを一方的に計画して、スポンサーを募ったんです。息子さんたちには事前に相談せず進めてしまったため、問題になったそうです」(前出・浅香さんの知人)
もともと両者の関係は良好なものではなかったという。
「世志さんが浅香さんと一緒になったとき、息子さんたちはすでに成人していましたから交流も少なかったんです。浅香さんが亡くなって、さらに距離ができてしまったのでしょう」(同・浅香さんの知人)
対立は根深かったが、一応の決着を見たらしい。
「一時は裁判になりそうでしたが、なんとかおさまりました。遺産の分配は3分の1ずつ、記念館の計画は中止ということで落ち着いたそうです」(同・浅香さんの知人)
双方の「言い分」を聞くと
次男の北岡昭次氏に、相続争いについて問い合わせると、
「詳細は申し上げられませんが概ね事実です。すでに解決ずみです」とのことだった。
一方、世志にも話を聞くと、少しニュアンスが違う。
「遺産は仲よく分配しました。揉めごとはありません」
トラブルはなかったと話す。しかし、記念館の建設については、
「これからの話です。計画中ですよ」
まだ諦めていないようだ。納骨には参加しなかったが、追悼行事にも積極的な姿勢を見せた。
「私は私で浅香を送り出すために、盛大に何かやりたいなと考えています」
彼がどうしても開催したがるのには理由がある。
「浅香さんの葬儀は息子たちが仕切ったのですが、世志さんは内縁の夫だという理由で親族ではなく“友人・知人”の扱いに。そのことが不満だったそうです。納骨に立ち会わないのはあてつけで、息子さんを抜きにして『お別れ会』を開きたいんだと思いますよ」(前出・浅香さんの知人)
夫と子の間にはまだ溝が残る。浅香さんなら「あたしゃ許さないよ!」と一喝してくれるはずなのだが……。