芸能界のトップに君臨してきたジャニーズ事務所に異変が起きている。
「2019年7月にジャニー喜多川さんが亡くなってから、錦戸亮、中居正広、手越祐也、山下智久と、人気タレントによる退所の流れが止まりません。『少年隊』の錦織一清と植草克秀も昨年末で辞めましたし、今年3月には長瀬智也も辞めることが決まっています」(スポーツ紙記者)
2018年にも3人が辞めた。
「山口達也はスキャンダルが原因でしたが、今井翼と渋谷すばるは“やりたいことがある”と言って退所。かつては“男性アイドル帝国”と呼ばれ、ジャニーズを辞めたら“芸能界で干される”なんて言われていましたが、最近は退所しても活躍の場があると考えているのでしょう」(ワイドショーデスク)
ジャニーズ事務所の歴史は、1962年に始まった。4人組グループの『ジャニーズ』が結成されたのだ。
「最初は野球チームだったんです。ロサンゼルス生まれのジャニーさんは日本のアメリカ大使館に勤務していたそうで、仕事の合間に少年たちを集めて野球を教えていました。それが『ジャニーズ少年野球団』。雨で練習が中止になって見に行ったミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』に感動した4人の少年が、野球よりもミュージカルのほうがカッコいいと感じ、歌って踊れるアイドルを目指しました」(前出・スポーツ紙記者)
1964年にデビューした『ジャニーズ』は、1967年に解散。しかし、1968年にデビューした『フォーリーブス』は大人気となり、1972年には当初は“弟分”だった郷ひろみがデビュー。芸能史に詳しい江戸川大学マス・コミュニケーション学科の西条昇教授に、ジャニー喜多川さんのプロモーション戦略について聞いた。
「基本はミュージカルなんです。ファンを増やすためにアイドルとしてデビューさせ、ミュージカルに客を呼ぶ。1曲1曲が、それぞれ“3分半のミュージカル”と言うべきものでした。デビューしたばかりの郷ひろみは、全盛期のフォーリーブスのコンサートに出演していました。同じ事務所だということがわかり、ジャニーズ=アイドル集団という図式が浸透しました」
ジャニーさんが悔やんだ解散
順調に発展していったが、1975年に衝撃的な“事件”が。
「郷ひろみが『バーニングプロダクション』に電撃移籍したんです。1978年にフォーリーブスが解散し、ジャニーズ事務所は“冬の時代”に。川崎麻世や赤木さとしがデビューしたものの、思ったような人気が出ず、当時は西城秀樹など『新御三家』の絶頂期でした」(芸能プロ幹部)
ジャニー喜多川さんも落ち込むことが多かったという。
「フォーリーブスを解散させたことを悔やんでいました。だから、デビューさせたグループは、なるべく解散させないと、ジャニーさんはよく言ってました。解散さえしなければ、いつか再始動ができる。そうすれば、当時ファンだった女の子たちは結婚して子どもができて、母子で一緒にコンサートに来てくれるようになる、と。今も『少年隊』の名前だけは残しているのは、ジャニーさんが言っていたことを守っているんです」(芸能ジャーナリスト)