M-1グランプリ史上初、ピン芸人同士のユニットとして決勝に進出した「おいでやすこが」。ツッコミ担当のおいでやす小田が見せる「叫び芸」に、ハマる人が続出している。M-1、そしてR-1での小田の快進撃での裏には、妻のアドバイスがあった。2月某日、大阪から東京へ、劇場をハシゴする超多忙なスケジュールの中、小田がオンライン取材に応えてくれた。
M-1グランプリ2020の最終決戦では、優勝は逃したものの、松本人志からの投票という、重みある1票を獲得。ダウンタウンに憧れてお笑いの道を選んだ小田にとって、この票は大きかったと語る。
「何度思い出しても興奮しますね……(M-1ファイナルで)松本さんに票を入れてもらったことは。今、番組で共演できるようになって、僕がやりやすいようにふってくれたりイジってくれたりするのも、ほんまありがたいです。僕の何を気に入ってくれたのかわかりませんけど……。
最近、松本さんの番組で『小田にもう飽きてる』って言われましたけど、それもうれしかった。『小田飽きた』『おいー!』って返せますから。『飽きた』が1周したら、また逆のことを言ってイジってきはると思いますけど(笑)」
妻のアドバイスで東京進出
一気に仕事が増え、M-1での快挙を振り返る暇もない毎日に。そんな今、芸人人生の岐路を思い返すと、いつも妻の何気ないひと言に、動かされてきたという。
「今は忙しくさせてもらってますけど、もし結婚していなかったら、R-1やM-1での結果も違うものになっていたと思います。なんやったら今ここにいないかもしれない。東京に出てきたのも奥さんのひと言がきっかけだったので。
関西って漫才文化なので、やっぱり活躍の場が広いのは漫才コンビ。僕がR-1の決勝に毎年出ていても、テレビでロケに使われるのは、(ピン芸人の)僕じゃなく若手の漫才コンビやったりするんですよ。関西ってそういうとこなんかな、もうチャンスないんかなーって思っていたときに、奥さんがポロッと『東京進出とかどうなん?』って。このまま大阪にいても仕事が増える見込みはないと思ったので、東京へひと旗上げに行こう、と決めました」
ピン芸での実績があっても、大阪では漫才師を超えられないと見切りをつけ、2018年、東京吉本への移籍を決意。ホームである大阪を離れた。
「周りからは『なんで今?』って止められましたね。後輩芸人のアキナも『これから大阪で食えるようになるに決まってるじゃないですか』って言ってくれたけど、僕はそうは思わなかった。
それで実際、東京に出てきて、仕事は増えたんですよ。大阪時代のほうが楽しかったですけど……。大阪では難波周辺にみんな住んでいて、ホームの(よしもと)漫才劇場に仕事がなくても入り浸っている、その感じが楽しかった。劇場に行けば誰か絶対おるみたいな、サークルみたいなノリなんですよ。
それに比べ東京では、仕事は仕事。でも今は、これが普通なんやと思います。逆に大阪時代は、“好きなことをして楽しければいい”という現状に満足していたからダメやったんやと。イチかバチかの決心が足りなかった」