AとBからの口止め依頼
犯行後の「口裏合わせ」についても、AとBは対立していた。
ほかの友人F、G、Hの3名が、第1~3回公判で、検察側証人として証言していた。彼らは、AやBから犯行後「マジで言うなよ」「リレキ消しといて」など、口止めを依頼されたことを証言した。
さらに、AとBの両名から「橋の下で花火をしていたら、ホームレス(渡邉さん)が来て、(争いになって)正当防衛だったということにしてほしい」と持ちかけられたと証言した。
しかしAは、自分ではなく「B君からそのような話をした」と主張し、一方、Bは「私はそんな話はしていない」と否定。結局、この件は仲間の了解を得られず、それきりになったことで、量刑事情にはならなかった。
ほかの点でも、2人の主張の食い違いは続いた。
Aはアイさんらを追いかけていたとき、Bが渡邉さんの背後から石を当て、渡邉さんが上着のフードを頭に被るのを見て、「後頭部に当たったように思った」と述べた。もしそれが本当なら、致命傷とされた「土の塊」をAが投げる前に、Bが渡邉さんの後頭部を傷つけていたかもしれないことになる。重要なポイントだった。
けれどBは、自分は当日、渡邉さんに石を当てていないと主張していた。
いったい何が本当で嘘なのか?
仲間の元少年たちの証言にも食い違いがあった。元少年の一人は、「AやBやCたちと、(襲撃に行って)やっていたことは同じなのに、自分たちはこの1年、普通に外で暮らしていて、申し訳なく思う。だから本当のことを証言したい」といったが、その直後、自分の「彼女」が襲撃現場にいたことを指摘されると、平然と「忘れていました」と述べ、彼女の代わりにAがいたように証言していた。
何を信じればいいのか、傍聴を重ねるたび、陰鬱な気持ちになった。
被害者に対する気持ちを問われて、Aはこう述べた。
「被害者の渡邉さんには、本当に申し訳ないと思います。また、一緒に暮らしていた方アイさんには、毎日、本当に夜も寝られないぐらい、いつ殺されるかわからないという、怖い思いをさせていたんだと、(アイさんの証言を聴いて)感じました。石が当たったらケガもするし、危ないし、自分たちは5人も6人もいて、2人を相手にして、やっていることは弱い者いじめをしていたんだと思いました」
「そして僕が、被害者の立場を見下すような考えをしていたので、嫌がらせや、石を投げるようなことをしていたと思います。その考え方は全部間違っていたと思います」
と、涙を流した。
検察尋問に変わると、Aは緊張した様子で返答に窮したり、口数が減った。
――なんで、ホームレスの人に石を投げたの? 石を投げたあとの反応を見るのが楽しいといっているが、なんでそんなことが楽しいの?
「橋の下に、石を投げると、被害者やアイさんが怒って出てくるのをみんなで見たりするのが楽しかった」
――それの何が楽しかったの?
「被害者に、『待てー』と言われたときに、『こっちに来いよ』というようなことを言ったりしているのが楽しかった」
――だから、それの、何が、楽しかった? 何を、楽しいと思うの?
「みんなでやることが、楽しかった」
わずかに掴めた心理のカギは、「見下す気持ち」と「みんなでやること」。
では「ホームレス」を具体的にどう、見下していたのか。汚い臭いと思ったのか、怠け者だと思ったのか、稼げない奴には価値がないと考えたのか。
みんなで一緒にやることが重要ならば、それがなぜ「ホームレス襲撃」という「いじめ」になるのか。野球は? 遊びにはならなかったのか? 言葉は足りず、もっと知りたかった。
そしてもう一人の元少年Bは、どんな気持ちで、襲撃をくりかえしていたのか。Bの心の奥底に潜む闇、第4回、第5回の公判、さらに「生き証人」アイさんの今を後編《【岐阜ホームレス襲撃事件】元少年Bの深い闇、彼らこそ心の「ホーム・レス」だった》でレポートする。
北村年子(きたむら・としこ)◎ノンフィクションライター、ラジオパーソナリティー、ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事、自己尊重ラボ主宰。 女性、子ども、教育、ジェンダー、ホームレス問題をおもなテーマに取材・執筆する一方、自己尊重トレーニングトレーナー、ラジオDJとしても、子どもたち親たちの悩みにむきあう。いじめや自死を防ぐため、自尊感情を育てる「自己尊重ラボ Be Myself」を主宰。2008年、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を発足。09年、教材用DVD映画『「ホームレス」と出会う子どもたち』を制作。全国の小中学・高校、大学、 専門学校、児童館などの教育現場で広く活用されている。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち』『おかあさんがも