シングル曲のイメージから“癒し系デュオ”と紹介されることも多かった2人。一方、当時のインタビューでは、同時期に女性デュオとして活躍していた『kiroro』を引き合いに、“黒kiroro”と自分たちを称することも。

おの癒すつもりはまったくなかったですから(笑)。“黒kiroro”と言っていたのも、どこか反発する気持ちがあったのかも

こじまブラックミュージックなどに影響を受けて音楽を始めたこともあり、当時のライブでもそういった曲も演奏していたんです。ライブで私たちの音楽性を知ったファンも多かったと思います」

おの「それを好意的に受け取った方もいたし、シングル曲のイメージが強い人の中には“思っていたのと違う”と離れていった方もいると思います。だからといって、世間のイメージに寄せるつもりはまったくなかったですね」

こじま「そんな器用なタイプではないので。スタッフの方たちも私たちの性格を知っていたから、“癒し系の曲を作って”と言われることはなかったです」

 順調に活動を続けていたものの、2003年に当時所属していた事務所の事業終了に合わせて、活動を休止することに。

こじま「当時流行したSARSの影響で、親会社の業績が悪化してしまったんです。それで子会社の音楽事業をやっている余裕がなくなってしまい、事務所を畳むことに。私たちもデビューから慌ただしい日々を送っていて、少しお休みしたいな……と思っていたところだったので、休止することにしました

おの「事務所がなくなると聞いて、正直肩の荷が下りましたね。身体もしんどいし、気持ち的にも余裕がなくなっていたので……」

こじま「“うちに来ない?”と手をあげてくれた事務所さんもあったのですが、活動休止に関しては2人とも意見が一致しましたね」

10周年で「そろそろやる?」

 約6年の活動休止を経て、デビュー10周年となる2009年に活動を再開することに。

おの「休止後はお互い別々で活動していたこともあって、気づいたら6年たっていたという感じでした。それで10周年が近づいてきたときにファンの方から“花*花の活動はしないの?”という声が増えてきたので、“そろそろやる?”みたいな感じで

こじま休止期間中、お互いソロで活動していたときに知り合ったアーティストや音楽が、花*花にフィードバックされたのはよかったですね。学生時代から休止前まではお互いが同じ方向を向いて吸収してきたものをアウトプットしてきたけど、離れて活動したことで吸収するものが倍になり、音楽性も広がりました」

おの「その間にいづみさんは母親になったこともあり、年々作るものが豊かになっている気がします。だから私も毎回、新曲が楽しみなんです」

こじま「まきちゃんは休止中にバンドでも活動をしていたこともあり、音が多角的になったなとライブやレコーディングで感じますね。2人でずっと続けていたら、表現できなかった音だなと思います」