マッチとトシちゃんに書きたい曲は

 そして翌年、近藤はレコード会社をRVC(当時)からCBSソニー(当時)へ移籍。年齢も20歳となり、徐々に大人路線を模索しようとしていた。そのころ、再び売野が起用される。

「『絆』というタイトルで(男の哀愁や切なさについて)書いたんだけど、ジャニーズ事務所の中でとても評判がよくて。作曲を担当された鈴木キサブローさんのメロディーを聴いたら、こういう歌詞が自然にできたんだよね。後からメリー喜多川さん(藤島メリー泰子、'21年8月逝去)​に、“「夢」という字を足して『夢絆』というタイトルにしてほしい”って言われて変えたんだ」

 この『夢絆』は、オリコン連続1位記録は途切れたものの、『ザ・ベストテン』では『ケジメなさい』以来3作ぶりに1位を獲得。アイドルから大人の男への布石となったであろう。ちなみに、この作品の評判から、売野は『夢絆』を収録したアルバム『SUMMER IN TEARS』でも、6曲の作詞を担当している。また、続くシングル『大将』については、

「『大将』とは、矢沢永吉さんのことだよ。当時、マッチが矢沢さんのファンで、“大将”って呼んでいたことをモチーフに書くことになった」

 近藤はこの1曲で大人路線を確立したことが業界内で評価を受け、第16回『日本歌謡大賞』も受賞している(大将と大賞を掛けたかどうかは定かではない)。

 余談だが、同年の秋、コミカルな路線が多かったシブがき隊が突然、『KILL』(売野雅勇作詞、林哲司作曲)でシリアスな失恋ソングに挑んだのは、先輩であるマッチが『夢絆』でイメージチェンジを成功させたことに影響を受けたようにも思える。

 近藤の印象について売野に尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「マッチとは、'84年ごろにレコーディングスタジオで初めて会ったんだけど、いやぁ、面白いヤツだと思ったよ。男っぽくてガキ大将、やんちゃでフザけてばかり。大人たちにイタズラばかりして、常に話の中心になる人気者タイプだね。レコーディング中も一生懸命、自分が見た夢の話をずっとしていて、銀玉で打たれたシーンをこと細かにしゃべっていてね。トークが上手だなって思ったよ。彼のように、可愛くて愛嬌(あいきょう)もある男はいそうでいないね。

 それからずいぶんたって、5年くらい前に、彼のラジオ番組のゲストに呼んでくれたんだけれど、久しぶりに会ったらさらにイイ男になっていたね。マッチには、ヒロイズムの強い『愚か者』路線もいいんだけど、それとは別にスタンダード感のある男の歌も合うんじゃないかな。フランク・シナトラや石原裕次郎のような、おしゃれで正統派の男の歌を書いてみたい。彼がそれまで見てきた、スターにしかわからない栄光と恍惚、孤独と悲哀があるはずだから、破天荒なだけじゃなくて、自分で自分に課したものに向き合ってきた、裸の魂の姿を歌にしたいかな

 また、売野は近藤だけでなく、近年の田原俊彦にも創作意欲がわいているそう。

「2年前、トシちゃんのマネージャーにコンサートに誘ってもらって行ったんだ。これまで観たことがなかったけれど、トシちゃんがMCで“売野さん、来てますよね?”って会場に呼びかけるから驚いたよ(笑)。そのとき、彼は還暦の前年だったんだけど、あれだけ歌って踊って、やっぱりトシちゃんは大したもんだよ。

 彼にはスウィング系の楽曲を書いてみたいね。グレン・ミラーみたいなシャレたアレンジのね。60代のヴォーカリストが歌う最高のポップスは、ビッグバンドなんだよ。シブくなくていいのよ、ゴージャスならね。それができるのは、田原俊彦しかいないんだよ。方向さえ間違えなければ、この時代にミリオン級のヒットを飛ばすよ。予言しておきます」

 実は、田原俊彦にはシングル『シャワーな気分』('83年5月発売)のときに、筒美京平から作詞を頼まれていたのだという。

その前に書いた野口五郎さんの『過ぎ去れば夢は優しい』を京平先生がとても気に入ってくれて、次はトシちゃんでって、『シャワーな気分』のメロディーを渡されて。

 でも、レコード会社からはOKが出なくて、その後に書いたのは、アルバム『波に消えたラブ・ストーリー』に入っている京平さんが作曲した2曲(『裸足のミステリー』『水の中のヴィーナス』)と、タイトルがもう決まっているところに歌詞を依頼されたシングル『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』だけかな」

 そういう経緯もあって、田原にも挑戦したいという思いが募っているようだ。