「仲よくしていた友人がある日を境に急に無視し始めて、2年くらい続きました。最初は数人だけの無視だったのですが、徐々に範囲が拡大。気がつけばクラス全体から無視される状況になり、僕は他のクラスの子と細々とつきあっていました。

 そんな僕の気持ちを支えてくれたのは、おばあちゃんの“苦しいことは、その人が耐えられるから降ってくるんだ”という言葉です。(中略)この経験以来僕は、人の心の動きとか痛みに敏感になりました」(『日経エンタテインメント!』2007年1月号)

 また 、“悪を裁き、弱きを助けよ”の精神を、子どものころ父親から教わったという井ノ原。

「クラスの知的障がいの子とも仲良くて、家に遊びに行くと、お母さんがうれしそうに“ずっと友達でいてあげてね”って言うんだよね。それが俺も嬉しくて。その子がいじめられてたりすると、どんなに仲いいヤツでも許せなかった。

 一回同じグループのヤツがいじめてて、“やめろよ”って言ったのにギャグで返してきて。すっげぇムカついて、そいつと初めてケンカしたこともあった」(『JUNON』1998年12月号)

 MCとして数多くの番組を仕切り、ときには行き過ぎたイジリに対して「それはよくないと思う」と毅然とした態度を示す井ノ原。その片鱗が伺えるようなエピソードだ。

長野が味わったデビュー前の「挫折」

 解散発表後に、自身のラジオ『三宅健のラヂオ』で「みんなからのメールを読んでいたら涙が止まらなくて。新幹線で一人号泣している自分がいて」と話していた三宅健(42)。真面目でやさしく繊細な人柄は、若いころの発言からも読み取れる。

「味方っぽくしておいて実は裏切るとか、言葉たくみに人をだますとか。そういう人っていたし、人間不信になったこともあった。でも、他の人には相談しないんです。ひとりで自分の中に持ち込むタイプだから、けっこう俺は根強いというか…根性があるほうなのかもしれない。

 俺がいちばん許せないのは、強い者に弱くて弱い者に強い人。少林寺拳法の言葉で“力愛不二”という言葉があって、人間は力だけあってもダメだし、愛だけでもちゃんと生きてはいけない、両方兼ね備えてないと、ちゃんとした人間にはなれない、という意味なんです。それは正しいことだと思う。自分も大人になったら、ちゃんとした、包容力のある人間になっていたい」(『JUNON』1998年9月号)

 長野博(49)もメンバー全員から「優しい人」と慕われる男で、実は「デビューしていく後輩を10年間ずっと見てきた」という苦労人。

「後輩がグループを作ってデビューしていくのを見て、やっぱり挫折感みたいなものを感じたし。専門学校を卒業した後もそんなに仕事があるわけでもなくて、先輩の付き人をやっていたこともありました。

 事務所から“やってみない?”と言われたときは、正直言ってすごくショックでしたよ。でも、今はそれも貴重な経験だったと思っています。いろいろあってV6のメンバーになれたことが、本当に自分のためにはよかったと思っているし、逆境に耐えてきたから、それも力になっている気がするんです」(『JUNON』1998年8月号)

 おだやかでみんなを包み込むような優しい微笑みは、この芯の強さに裏打ちされているのだろう。