「おかみさん会」が牽引する地域おこし
浅草おかみさん会は平成5年、協同組合へと組織化され、活動の幅は全国へ広がった。
その記念すべきイベント「第1回全国おかみさん交流サミット」が同年、新宿の高級ホテルで開かれ、商店街の活性化に取り組みたい参加者が集まった。これを機に、全国各地でおかみさん会が次々と結成された。
『高崎おかみさん会』は平成13年に結成されて今年で20周年を迎える。会長の深沢るみさん(70)は、その経緯をこう説明した。
「結成当時はバブルが崩壊した直後でした。ショッピングセンターが郊外にできたため、街の商店街が活気を失ったんです。そんなときに、街づくりの講演会を冨永さんにお願いしたのがきっかけです。冨永さんは裏表がなく、男も女も同じように付き合い、言うときは言う。そして義理人情に厚い。そういう昔気質の気風は忘れられがちな時代だから、大切にしていきたいと思います」
高崎おかみさん会は、商工会議所などのバックアップもあり、群馬県の食材を使った駅弁やお菓子などを次々と開発した。毎月第4日曜日に開催される「人情市」には、パンの店を出店し、活動を続けている。
「まだまだ目に見える成果は出ていませんが、とにかく私たちでできることをやろうと思っています」
『掛川おかみさん会』も、疲弊していく地方都市の現実に頭を悩ませ、冨永さんの講演を機に平成8年に結成された。会長の山本和子さん(61)は、そのときに経験した冨永さんらしいエピソードを紹介してくれた。
「せっかく講演会をやってもらうならと思い、掛川市の実情を書いた手紙を送ったんです。当日はそれに則したお話が聞きたかったので。講演は無事に終わったのですが、冨永さんは手紙を読むのを忘れていたみたいで……」
冨永さんから後日、電話がかかってきて「わるかったね! また次回行ってあげるから」と伝えられ、講演から1か月もたたないうちに再び掛川市に駆けつけてきたという。まさしく義理だ。
「そのときは天ぷら屋の座敷でやったんですけど、その場で“おかみさん会をつくろう”と声が上がり、とりあえず結成することになりました」
掛川おかみさん会は「おかみさん市」のほか、「チョークアートフェスティバル」や「赤ちゃんオリンピック」などのユニークなイベントを始めた。しかし、女性たちだけの活動に当初は、地元の視線は冷ややかだった。
「古風な人が多かったから、“女が出てきて何だ!”という雰囲気でした。おかみさん市をやるときにテント設営の協力をお願いしたら、あからさまに拒否。イベントで使った道具を会場に置き忘れたときなんかは、確かに私たちのミスではありますが、“忘れ物だよ”とひと言知らせてくれればいいのに、警察に通報されましたね」
掛川市にまだ、女性だけの団体がなかったころの話だ。それでも市役所が理解を示してくれたことで、徐々に活動がしやすくなったと、山本さんは振り返る。
「結成から25年がたち、そろそろ世代交代を考える時期に差しかかっている。子連れの若い夫婦は、郊外に住んでいることが多いので、そうした若い人たちがもっと街づくりに関わりやすくなる環境を整えていきたいです」
飛び交う怪文書「悪口は有名になった証」
浅草おかみさん会は、日本初の、女性メンバーだけでつくられた協同組合だ。いまなお「わきまえない女」に対する風当たりは強いが、浅草という男社会の中で、冨永さんは常に逆風にさらされてきた。
《浅草寺ライトアップで金儲け》
《浅草発展の邪魔者はお照さんと聞く》
冨永さんの活動を誹謗中傷する怪文書が、商店街にばらまかれたこともある。
新年早々、《今祝死年》という縁起の悪い文字が並んだ年賀状も、「陰陽師」なる送り主から届いた。
「そのときは悔しかったよ。でも今思い返せば、そういうふうに悪口を言われたら、有名になった証だと思う。嫉妬の裏返しですよ。悔しかったらあんたらも怪文書もらってみろってんだ!」
そう語気を強める冨永さんはポジティブだ。ただ、世の女性たちは、そんなに強く振る舞える人ばかりではないだろう。森喜朗元首相の女性蔑視発言は記憶に新しいが、男社会に息苦しさを覚える女性は少なくない。冨永さんが力説する。
「私だって最初はそんなに強くなかった。布団かぶって泣いたこともある。こん畜生って思っているうちに、憎しみも薄らいでくるのよ。“いい子、いい子は、どうでもいい子”って言ってね、人に合わせすぎてもダメ! 怒鳴られて畜生と思ったら100倍にして返せばいい。敵取ったらいいじゃない」
強気な発言をする一方、「人にはそれぞれ事情がある」といった配慮もにじませる。
「ただ人間、いろいろな環境で育っているよね。いじめられる子もいるから、その人によって生き方は異なるんです。私みたいにさあ、戦争中と旦那の苦労は少し知ったけどさ、そんなのみんな肥やしにしてきたから」
そんな冨永さんの目に、現代社会における男女関係や夫婦の在り方はどう映っているのだろうか。
「世の中、変わったなと思いますね。そこらの夫婦を見てみなさいよ。男が子ども抱いてるじゃん。悪いとは思わないよ。でも本音では、男がだらしなくなったのかな、と。まあ稼ぎがないからしょうがないよね。昔は女が稼げなかったから」
その言葉の端々には、夫に浮気され、それでも必死に働いてきた女将としての矜持が表れていた。浅草の街は、女性が守り抜いてきたのだ、と。