女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、自身の愛車遍歴を振り返る。
カーマニアになったきっかけ
これまでいろいろな車を運転してきた。あるときは、歌手の荒木一郎さん……私たちは“いっちゃん”と呼んでいたけど、彼が大きなアメ車を楽しそうに乗っていたから、私も感化されて黄色いカマロに乗り換えたことがあった。
リッター2kmほどしか走らないから燃費は悪い。でも、ひとたび高速道路を走るや、その気持ちのよさといったらない。車に乗っているのはもちろん、車を走らせているという感覚。だから私は、大きな外国車好きだった。
それは、最初にお付き合いをしたボーイフレンドの影響が大きかったのだと思う。その人はちょっと名の知れた作曲家で、モダンジャズのピアニストでありながら、レーサーでもあった。自分のことについてあまりしゃべらなかったけど、後々、人づてに聞いた話では良家のおぼっちゃんだったらしい。家に真っ白なグランドピアノがあったから、言われてみれば普通の家庭じゃないわよね。
彼は、イギリスのスポーツカーブランドであるMGの真っ赤な車に乗っていた。当時は1960年前後だったと思うけど、とても珍しかった。そのMGで、静岡県・三島にある私の実家まで乗りつけたことがあった。
到着すると、あまりに物珍しい車で戻ってきたものだから、弟たちが騒ぎだす。それを察してか、彼はトランクを開け、クーラーボックスからコカ・コーラを取り出し、配りだした。弟たちが初めて見るコークに熱狂したのは言うまでもない。異国から来た人みたいだった。
たしかに彼は、スコッチのことをスカッチと発音したり、石原裕次郎さんが経営していた東京・四谷のステーキハウス「フランクス」にたびたび連れて行ってくれ、ステーキのおいしさを教えてくれた。
だけど、それまでウイスキーはサントリーでいちばん安い「シロ」の水割り一辺倒だった私は、あっけにとられるばかり。当時の私は、俳優座の養成所にいたからお金なんかまったく持ち合わせていない。俳優を志す若者たちは純朴な人ばかりだし、おまけにボーイフレンドがいる女の子なんてあんまりいなかった。
私もその1人だったから、スカッチと発音し、MGに乗って颯爽と現れる彼に、どこかなじめなかったのかもしれない。でも、彼はとても熱心だった。スケジュールを伝えているわけでもないのに、ロケが終わると空港にMGを横づけして私を出迎えてくれたりした。いま思えば、それは恋愛と呼ぶにはバランスを欠くようなものだった。
一度私が彼の家に電話をした際、彼のお母さんから「カマトトの彼女からお電話よ」と言われたことがあった。別に無知なふりをしていたわけじゃなくて、私は田舎っぺだから、本当にものを知らなかっただけなのだけど。
そういえば、彼の仲間たちと軽井沢へ行ったとき、朝ごはんにオートミールが出されたことがあった。牛乳の中に動物の餌のような麦が入っているだけにしか見えなかった私は、「なんてものを出すの、失礼ね!」なんて怒ってしまった。そんな感じだったから、「カマトトの彼女」であるわけがない。
でも、そんな彼のおかげで、だんだんとものを知るようになったところはある。そのひとつが、車の魅力だったんだろうなぁと思い返す。
いろいろな車に乗り換えた。特に好きだったのはジープかな。ただ、ひとつだけ後悔していることがある。
三島にいる母を送り迎えする際、私はジープに母を乗せて移動していた。気分よくハンドルを握っていると、「あなたはいいけど、私はつらいのよ」とたまりかねたような母の一声。車高があるから乗り降りするのも大変だったし、快適な乗り心地でもなかっただろうから、かわいそうなことをしていたと思う。
いまだったらきっと静かな電気自動車に─。いや、乗れるなら、やっぱり私はスポーツカーか幌付きのジープを選ぶだろうなぁ。
〈構成/我妻弘崇〉