被告宅を訪ねると、母親は出てきてはくれたものの、両手を合わせてお辞儀をしながら、「申し訳ありません……」と呟くのみだった。母親の銀縁の眼鏡の奧の目元には、クマのようなものが見えた。
一方、被害者が亡くなったバス停は事件後、多くの女性が献花する場所となっていた。
「亡くなった大林さんは若かりしころ、アナウンサー志望でしたが、夢が叶わず、地元の広島で結婚式の司会業などをやっていました。5年ほど前に上京して、スーパーなどでバイトをして生計を立てていたそうです。だが、その仕事を失いホームレスになって、あんなかたちで殺されてしまった。非業の死を遂げた大林さんに多くの女性たちが同情、共感しているんだと思います」(ウェブメディア記者)
ありし日の大林さんを見たことがある住民は、彼女の印象について、
「事件の5か月ほど前から、大林さんが夜中1時になるとバス停のベンチに座って朝方まで寝ていました。女性だから安全面を考えて、その場所を選んでいたんじゃないかな」
身長150センチメートルぐらいだった大林さんは比較的、小綺麗な服装をしていたという。
人の助けはいらない
「服装も靴も毎日替えていて、スカーフをしているときすらも。だから最初はホームレスだとは思わなかったんです」(同・住民、以下同)
ときどき声をかけてみると、
「“大丈夫ですか”“食べ物をあげましょうか”“毛布はいらないですか”と言っても、返事はいつも決まって“いえ、大丈夫です”と。人の助けはいらない、迷惑をかけないといった、凛とした強いものを感じました。生活保護も受けられたでしょうが、それも嫌だったんでしょうね」
家族にも、自身の困窮ぶりをいっさい伝えていなかったという大林さん。吉田和人被告によって虫けらのように命を奪われてしまったが、矜持を持って生き抜いたその姿は大林さんの“遺言”となって人々の心に生き続けている。
雨の中、バス停脇には2束の献花があった。
「あれは、今回、自殺と思われる被告の死亡報道を知った方が、それを大林さんに報告するための献花と聞きました」(近所の住民)
だが、被告が死亡したことで、この事件の真相は永遠に閉ざされてしまった……。