「かりゆしウェア」台頭による危機

復帰前、沖縄市照屋にあったかつての店舗(佐久本洋服店提供)
復帰前、沖縄市照屋にあったかつての店舗(佐久本洋服店提供)
【写真】歴史を感じる外観!創業当初の「佐久本洋服店」

 変化したのは顧客の層だけではない。スーツのデザインやスタイルも、だ。

 1980年代。時代はバブルの真っただ中。

「主流はソフトスーツという、肩幅が広いいわゆるバブルスーツが主流でした。背広もズボンもサイズは大きめで丈も長い。背広のボタンはダブル。一方、2022年現在のスーツのスタイルは背広もズボンも細身で丈は短めです。ボタン位置も高いんです。ただ、ファッションは周期です。微妙に形を変えながら流行を繰り返しているので、もしかしたらゆったりめのスーツが再び流行るかもしれない」

 バブルのころにはすでに既製品のスーツが紳士服売り場を占めるようになっていった。

 そして県内の仕立て屋に危機的な状況が訪れる。『かりゆしウェア』の台頭だ。

 転機は2000年に行われた九州・沖縄サミットだった。出席した各国の首相らがかりゆしウェアを着用、その影響もあり、一気に県民に定着した。かりゆしウェアとは、沖縄を想像させる色柄の生地を使ったシャツのこと。さらに沖縄県縫製業組合に加盟している業者により縫製されたシャツを指す。

「私たちは背広の仕立て屋です。かりゆしウェアがカッコいいとは思えなかった。いくら商売とはいえ、自分たちがよい、と思えない商品をお客様には売れない。そのためスーツやシャツ、ネクタイの仕立てにこだわり続けたんです」

 だが国が推奨する『クールビズ』も追い打ちをかけ、夏場のビジネスシーンはかりゆしウェア一色に。葛藤したまま歳月は流れていった。

「私たちが引っかかっていたのは既存のかりゆしウェアで主流だったアロハシャツ的なデザイン。ですがそれに似せる必要はない。仕立て屋がプロデュースして自分たちがカッコいいと思う、夏場に着られるシャツを作ればいいんじゃないか、と考えを切り替えたんです」

『紅型夏シャツ』で挽回

紅型夏シャツ。ボタン部分のさりげない紅型のあしらいがポイント。県内外から注文が寄せられ、贈り物でも人気(写真/藤井千加)
紅型夏シャツ。ボタン部分のさりげない紅型のあしらいがポイント。県内外から注文が寄せられ、贈り物でも人気(写真/藤井千加)

 そこで2014年に考案されたのが『紅型夏シャツ』だ。特徴は高い襟と襟元のボタン。さらに紅型をボタンの下の生地にあしらい、さりげない沖縄らしさを演出。洗練されたデザインと、製造枚数も限られているためほかの人とかぶることも少ないことからおしゃれな男性たちが注目。県内外から注文が相次ぎ、リピーターも少なくない。

 だが一方で、スーツを取り巻く環境は依然として厳しい。沖縄県はスーツ着用率が全国で最も低く、このコロナ禍は向かい風になり、仕立て屋の数も減少している。

 しかし、希望は残る。新成人たちがオーダースーツに注目していることだ。

沖縄の成人式は仲間と一緒におそろいの袴をレンタルする、という動きが根強かった。それが最近ではおそろいのオーダースーツを着よう、という若者たちも増えているんです、自分でバイトをして資金を貯め、注文する子もいるんです。成人式後でも、その仲間の誰かの結婚式にはほかの仲間とみんなで合わせて着るのもよい思い出になります」

 同店では2002年からインターネットでのオーダーも受ける。

「スーツをカッコよく着こなすためには自分のサイズに合うものを着ることが大前提なんです。身体に合っていないとスーツに着られてしまう。色柄やブランドも大事ですが、まずは身体に合ったものを選ぶことが大切。自分の体形に合ったスーツを着る姿はカッコいい。周囲から褒められた、とうれしそうに話す人も多いんですよ」

 歴史に翻弄されてきた沖縄県。米軍統治から日本へ、仕立て屋が見てきた50年。おしゃれを楽しむ男性たちの笑顔はいつの時代も変わらない。

教えてくれた人は……オーダースーツの「フェローズ」佐久本要さん
●佐久本洋服店取締役。進さんと同じ日本メンズアパレルアカデミーで学ぶ。兄の学さん、要さんは共にデザインと縫製も担当。

<取材・文・写真/藤井千加>