朝ドラとは女性たちの「成長物語」である
かつての朝ドラでは。ヒロインに新進女優が抜擢されることが多かった。『澪つくし』('85年4月~10月)の沢口靖子、『純ちゃんの応援歌』('88年10月~'89年4月)の山口智子、『ひまわり』('96年4月~10月)の松嶋菜々子などなど。これらの作品では、物語の進行とともにヒロイン女優の成長を見守るという楽しみも大いに味わえた。
ところが、最近は人気実力ともにある程度できあがった女優がヒロインになることが多い。黒島もそうだ。ただ、彼女なりの成長物語もある。『マッサン』ではヒロインの娘の友達を、『スカーレット』('19年9月~'20年3月)ではヒロインの夫と不倫っぽくなる弟子を演じている。このことを覚えている視聴者は、彼女がいよいよヒロインを、それも彼女自身とシンクロするような役をどう演じるのか、感慨深く見守れるのではないか。
ではなぜ、できあがった女優のヒロイン起用が主流になったかといえば、そのほうが安定した数字や仕上がりが見込めるからだろう。そこには、かつてのパターンが飽きられたこととともに、もっと重いものや難しいものをやりたいという制作側の気持ちの変化も影響している。
その転機となったのが『カーネーション』('11年10月~'12年3月)だ。ヒロインの不倫を描くなどリアルな踏み込み方で熱心なファンを生んだが、画面の暗さや言葉遣いの荒っぽさが批判もされた。
その後も『エール』('20年3月~11月)で陰惨な戦争を表現したり『おかえりモネ』('21年5月~10月)で震災のトラウマを掘り下げたり。かと思えば『あまちゃん』('13年4月~9月)のように1980年代のパロディーで話題をさらった作品もある。
これらは「攻めた」朝ドラともいえるが、個人的には「ドヤ顔」朝ドラと呼びたい。すごいものを作っているだろう、という制作側の思惑が透けて見え、ちょっと鼻についてしまうのだ。
『カムカムエヴリバディ』もそうだった。女性3代100年を複雑な構成で描き、エピソード回収にこだわり、英語セリフでは字幕も多用。制作統括の堀之内礼二郎は、この作品について「展開は3倍速で進むというより、3倍濃いと思って見ていただけたら」として、こう語っていた。
「忙しい時間に流れる朝ドラは、何かをしながらでも耳で聞けばわかるように作るべき、という考え方もあります。ただ今作は“ながら見”ではなく、ちゃんと手を止めて見てくれる方を第一優先として、そういう方に恥ずかしくない作品を作ろうとしています」
一方、前出の小林CPは『ちむどんどん』について、
「朝ドラは、15分間で息も切らせぬテンションで描くサスペンスフルなドラマでもないですし、それが求められてもいないと思う。毎朝気持ちよく、1人の主人公に感情移入していくというのが見やすいのです」
と発言。前出の羽原も、沖縄人が受けた差別などがあまり描かれない物語展開について、
「平日の朝8時から見てもらう番組は負の歴史ではなく、その時代をたくましく生きた家族を通して、今のお茶の間が元気になってくれる話を作ろうとテーマを決めた」
という説明をしている。
「ドヤ顔」系の朝ドラは「したり顔」のドラマ通には支持されやすいが、朝ドラの視聴者はそういう人ばかりではない。また、重いものや難しいものを入れすぎると、ファンタジー性が妨げられるという問題もある。朝ドラはさまざまな人が気軽に楽しめる夢物語でいいのでは、ということを再認識させてくれるのが『ちむどんどん』なのだ。
ところで現在、朝のアーカイブ枠(NHKBSプレミアム)では『芋たこなんきん』('06年10月~'07年3月)が再放送中だ。当時47歳の藤山直美がヒロインを務め、少女時代の自分を回想するミニドラマが随所に挿入される二重構造の手法が注目された。
この手法はまた、朝ドラが長年愛される理由を考えるヒントにもなりそうだ。それは、大人になった女性視聴者がヒロインの奮闘に昔の自分を思い出し、若い気持ちに戻れたりする、朝ドラはそんなひとときだということ。
そういう意味で『ちむどんどん』がヒロインを含めた三姉妹の若々しい葛藤に焦点を当てているのも、朝ドラらしいといえる。それでこそ、視聴者も自分の成長物語を重ねたりして、ちむどんどん(わくわく)できるわけだ。
朝ドラとは、昔の自分にかえるためのファンタジー。『ちむどんどん』にはそんな魅力があふれている。
芸能評論家・宝泉薫(ほうせん・かおる)アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。近著に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)