拓哉ら息子たちも知らない、16年間もの間を薬に頼らざるを得なかった壮絶体験を告白したのだった。この頃にはすでに、先の芸能ライターの取材も避けるようになっていたようだ。
「当初はキムタク目当てでレストランに通っていた女性も、まさ子さんの人柄に惹かれてファンになり、講演会にも熱心に通っていた人も多い。突然の直撃取材にも嫌な顔ひとつせずに、申し訳なさそうに“何も話せないのよ”としつつも、こちらの仕事を汲んでくれてコメントをくれることもありました。
そんな頼まれたら断れない人の良さがあって、いや、人から頼られること、求められることに喜びを感じているようにも見えましたね。参政党のYouTubeに出演したのも、おそらくはお願いをされたからで“ノーマスク”や“反ワクチン”のことは知らなかったと思いますよ」
政治家転身を勧められたら
木村家には現在、家族が帰るべき“実家”がない。両親は千葉県内の自宅を手放し、それぞれが別の場所に住む“別居”状態を長らく続け、息子の拓哉や義娘・工藤静香、孫のCocomiやKoki,らとも距離を置いているようだ。まさ子さんは母親や妻の役割から解放されて、今は1人の女性として歩んでいるのだろう。
動画では神谷氏の、参政党の重点政策に賛同していたまさ子さん。最後に「もしも総理大臣になったら、これだけは絶対にやりたいことは?」と聞かれると、
「う〜ん、やっぱり教育ですね。自分が日本に生まれ、そして育ち、そしてまた子どもを産み育ててもらえた、この日本の国をやはり知ること。知らないであの世にいくのはちょっと申し訳ないかなという思いもありますし、知ったからには若い方々にも、“こんないいところいっぱいあるよ”って。
だから一方通行の言葉だけを聞かないで、片方から(言葉が)来たら、“えっ? じゃあ、こちらの方からは”っていう、そんなふうにちょっと俯瞰して見れるような幅を持ってもらいたいなっていう(教育をしたい)。自然の中で遊んでほしい」
“キムタクの母”ではなく“木村まさ子”として頼まれたら、日本をより良くするために政治家転身、国政進出なんて日も遠くはないのかもしれない。