現役復帰した「支える妻」三田寛子のすごさ
「支える妻」は控えめな女性というイメージがあると思います。確かに「私が! 私が!」と前に出たいタイプの女性には向かないと思いますが、ずっと引っ込んでいるだけでは単なる「地味な妻」になってしまうでしょう。結果が出ないときや、夫が不祥事を起こしたときはじっと耐えて、注目を集めた時や成績がいい時はさっと前に出る。少ない回数で視聴者に夫や自分のいい印象を与えるのが「支える妻」の条件と言えるのではないでしょうか。芯の強さ、頭の良さが必要なのは言うまでもありませんが、少ないチャンスをモノにするという意味では勝負師的な勘のよさと、凄腕のスナイパーのような緻密さも要求されると思うのです。
「支える妻」の現役復帰と言えば、歌舞伎俳優・中村芝翫の妻でタレントの三田寛子も露出を増やしています。2016年に夫と息子3人の同時襲名という歴史的偉業を成し遂げたのですが、襲名直前に夫の不倫報道がありました。一番恥をかかされて、傷ついたのは三田サンなはずなのに会見に応じ、「私も至らない点がある」と夫を責めない姿が“神対応”と称賛されたのでした。
しかし、私がすごいなと思ったのは、そこではないのです。三田サンは「とにかく子ども達もまだまだこれから来月の襲名を迎えて、主人はもとより、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助、襲名します子どもに至りましては、本当に新人でございます」と、さりげなーく息子たちに触れたことなのでした。熱心な歌舞伎ファンを除けば、子どもたちはお父さんである中村芝翫に知名度の点では及ばないでしょう。各局のワイドショーが連日取り上げることが目に見えている会見で、子どもたちの名前を出すことは、一種の宣伝と見ることもできるはず。会見を逆利用するとは、とんでもない胆力の持ち主だと驚嘆したのでした。
中村芝翫の不倫報道はこの後3回続きますが、三田サンが会見を開くことはありませんでした。その代わりと言っては何ですが、ラジオ番組のレギュラーに就任するなど、芸能界の仕事を増やしています。三田サンはインスタグラムも始め、3人の若き歌舞伎俳優に対する告知や宣伝をせっせとしていますが、夫・芝翫について触れることはほとんどありません。「夫婦仲が冷えている」と感じる人もいるのでしょうが、私は三田サンが夫と線を引き、境界を作ったのだと見ています。夫の尻ぬぐいを完璧にしてしまえば、夫は「妻がどうにかしてくれる」と改心するきっかけを失います。不倫疑惑が持ち上がれば、3人の子どもたちだってノーダメージとは言い切れないでしょう。それなら、「そちらのことはそちらで」と線を引き、好感度の高い三田サンが前に出で仕事をすれば、三田サンのイメージが上がり、引いては成駒屋や子ども達のイメージもあがることでしょう。
「支える妻」は情が深く、芯が強くて、頭がよい人が多いと思いますが、こういう柔和な人ほど一度決心したらテコでも動かない強さがあり、怒ったらコワい気がします。「支える妻」を「ヤバい妻」にするかどうかは、夫次第なわけです。馬淵サン、三田サンの快進撃は、当分止まらない気がします。
<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」